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京釜線の各種列車を撮るため適当な駅を捜していたら、丁度龍山駅が光線状態もいいし、周りが開けているので下車した。
まずは最速、セマウル号の登場!
1991年1月撮影。 |
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続いてムグンファ号。
機関車の次位の電源車はセマウルカラーである。
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お次は統一(トンイル)号。
折りよく上りの列車とすれ違った。 |
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ムグンファ号用気動車2種類が顔をそろえた情景。
左は液体式9211系。前面は京成電鉄AE車を連想させる。
右は電気式9201系。5両編成2本の少数形式。この日は長項行き231号の運用に入っていた。
ソウルにて1990年12月撮影。 |
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1990年当時、9211系によるムグンファ号がソウルまで運行されていた。
水仁線への乗換時間に余裕があったので、水原駅電車線のホームに立っていたら、京釜線を9211系が軽やかに駆け抜けて行った。 |
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清涼里駅はソウルの上野駅と評される。
僕が見下ろしているのは京春線が発着する非電化ホーム。
希少気動車9201系と普通列車用合造客車が並ぶ情景も過去のものとなった。 |
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僕がソウルから長項まで乗ったムグンファ号には9201系気動車が充当されていた。
1990年12月撮影。 |
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全州で石焼ビビンバ専門店を梯子して一泊し、翌日ソウルへ戻るために乗った列車がこのムグンファ号。
最後尾の電源車はセマウル塗装の車輛であった。
1988年12月。 |
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湖南線から全羅線普通列車に乗り換えて、全州駅のホームに降り立った日は冷たい雨が降る12月のこと。
ビトゥルギ号の車内は、ほんのりと暖房が効いていたので外気の寒さがひときわ身にしみた。
1988年12月撮影。 |
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雨の裡里駅で見た群山線の気動車。
日本製の気動車で、スカ色に塗られていることもあり、親近感を覚えた。
1988年12月撮影。 |
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国鉄電車の草分け的存在。
初期の車輛126輛は日本製で、のちに韓国製で増備されている。
先頭車の車輛番号は切り抜き文字で「1094」とある。(「9」は?)
1988年12月、新道林駅にて。 |
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地下鉄公社1000系電車は国鉄1000系電車と同型の車輛。
国鉄向けと同様に日本製と韓国製がある。
写真の車輛はすでに冷房改造を済ませている。
1991年1月、衿井駅にて |
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これは非冷房の姿。
JNR103系1000番台や301系に良く似ている。
1988年12月水原駅。 |
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ソウルを環状に走る路線と支線からなる2号線。
2000系は正面1枚窓のデザインが特色。運転台は中央にある。
新大方駅にて1991年1月撮影。 |
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チョッパ制御の3000系は当時地下鉄の最新型であった。
裾の広がった車体断面が特色。落ち着いたよい色調の塗装である。
1990年12月、玉水駅にて。 |
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この当時、ソウルの地下鉄は4号線までしか完成しておらず、当時の最新路線。
電車は3号線の車輛と同一であったが、形式が4000番代となっている。
後にこの車輛は2号線へ転出している。
1991年1月撮影。 |
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安山駅は安山線の終点。
画面左側が水仁線、右側が一段高くなって駅前広場に通じていた。日本の郊外駅によく似た佇まいである。
電車は国電の新1000系。当時の新型電車である。大型硝子を用いた良い意匠である。
1991年1月。 |
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発車を待つ忠北線の統一号。
冬なので機関車から立ち上る蒸気が周囲を覆い、しばらく待って機関車の全容が見えたので撮った写真である。
1991年1月撮影。 |
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今は無き普通列車「ピドゥルギ号」用の客車。
この客車は古く、戦前の軽量客車の生残りと思われる。
軽量設計の特色ある台車を備えていたが、この写真ではよく判らず残念だ。
1988年12月撮影。 |
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同じくピドゥルギ号客車。
大陸的雰囲気をもつ重量級である。
全長21mクラスで2+2+・・・の窓配置が特色。
やはり戦前製と思われる。 |
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