小学5年生が覗いた新鶴見機関区
JNR Shintsurumi Lok-remise 1970


1970年2月の日曜日、僕と弟は父に連れられて品川の自宅から新鶴見機関区へ蒸気機
関車見物に出掛けました。普段機関車といえば電気機関車しか見ていなかったので、新
鶴見の情景は大変印象深いものでした。
以後僕は「再び蒸気機関車が見たい!早く行かないとD51がなくなってしまう」と思い続
け、再び新鶴見機関区へ行く機会を窺っていました。しかし、父も忙しそうであったので、
「自分で行くしかない」と思うようになっていました。
そして半年経った9月の日曜日、僕はクラスメートのM君を誘って電車に乗り込みまし
た。

撮影機材:Leotax K+Topcor 5cm F3.5
                                        
ややや!いたいた!D51がいたぞ!
日曜日の午後、南武線の鹿島田駅を降り立った僕達は、新鶴見機関区への道を進みました。道順には自信がありました。なぜなら半年前の日記帳にちゃんと地図を描いていたからです。
友達のM君は、工場の塀に沿って歩きながら少々不安な顔をしていましたが、道の向こうから架線が見え、貨車の連結する音や電気機関車の汽笛が聞こえてきたのでいくらか安心したようでした。
やがて機関区が見え、電気機関車に混じってD51が休息する姿を発見しました。
僕は首に提げたレオタックスを構えシャッターを切りました。
僕たちは「やったー!」と大喜びでした。

写真は現在横須賀線の新川崎のプラットホームがある辺りです。

中へ入ってみよう!
僕たちはさっそく機関区の中へと進みました。
半年前にもお邪魔していたので、僕はM君に「大丈夫だよ」と言いました。
構内踏切の脇でD51やEF10、EF65が並ぶ写真を撮りました。

こっちの方でもいい写真が撮れるぞ!
今度は構内踏切を渡って行きました。
当時は小学生が歩いていても、職員から注意を受けることはありませんでした。
今思えば、「職員に注意をされたらどうしよう」というよりも、「機関車に轢かれたら大変だ」という意味で非常に緊張していたようです。
踏切を渡ったところに自転車置場があって、そこに立つとD51786をいい角度から撮ることができました。

おっ!来た!
D51786を撮り終えると、手前のレールがガタガタと鳴って、別のD51がやって来ました。
フィルムは巻き上げてあったので、すぐシャッターを切ることができました。

D51がここにもいるよ!
建屋の方へ歩くとD51が2輛いました。
手前にロープが張ってあります。線路を跨いでもう少し近付けばロープが入らず撮れた筈ですが、多分、線路を跨ぐのは遠慮したのでしょう。その代わり、左に炭水車を入れた構図として撮りました。
右のD51723は他の機関区から転入したようで、新鶴見機関区特有のシールドビームの予備灯がありません。

こっちのD51も撮ろう・・・
上の写真で左に見える炭水車はこのD51515です。
奥に見える旧型電気機関車も過去の記憶になりました。
電気機関車と蒸気機関車が並んで休んでいる情景を見て、絵本「きかんしゃやえもん」の挿絵を連想しました。

やっぱり電気機関車も好きだから撮っておこう!
庫内には丸っこいEF10もいたのでカメラを向けています。鋳鋼台車が特色の23号機です。車体は関門トンネル用のステンレス張りでした。
前照灯やパンタグラフが切れているのは悪しからず。
今デッキに上がろうとしているのは機関士と助手でしょうか。ドアが開いているのを見ると、既に1人が運転台にいるようにも見えます。左の人物は腕章をしているので見習いかもしれません。

戦時型ドームだ!
僕は初めて見た戦時型ドームに思わずカメラを向けています。
半年前に購入した西尾克三郎氏の写真集「記録写真 蒸気機関車」を見て、戦時型機関車に強い関心を持っていたのです。

帰る前にもう1枚撮ろう
だんだん夕方が近くなってきました。
まだまだ撮りたかったのですが、家路のことが気になりだしました。
M君と「また来ようね」と言って、構内を後にしました。

転車台にD51が乗っているよ
駅に向けて歩き出した頃、機関区の片隅にある転車台に機関車が乗っているが見えたので急いで行ってみました。
左手高島方からやって来たD51810がゆっくりと向きを換えているところです。
機関車が向きを換えて去ると、再び僕たちは駅へ向かいました。

さあ、帰ろう
南武線鹿島田駅で僕たちは帰りの電車を待ちました。
天気ははっきりしなかったけれど、たくさんのD51を見て、すっかり満足でした。
あとは東横線と田園都市線を乗り継いで帰るだけです。
時計はもうすぐ4時です。

この頃、M君のお母さんは、子供がどこへ行ったのか捜し始めていたそうです。以後僕はクラスの母親達の間で「友達を唆して遠出する危険な子供」として認知されたのでした。でも僕の母は遠出を黙認してくれました。

今度は東京機関区へ!
新鶴見機関区を訪ねた2週間後の日曜日、僕は東京機関区の構内に立っていました。今度は別の友達を連れて。

当時は日曜日に見学を受け付けてくれました。



                                         おしまい

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