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「こうようの今日のコラム」:独断と偏見で見た俺の話し。人生、こういうこと考えて生きていくのも面白いかもよ的な
              真面目は話を中心にしていきたいと思います。

2000年2月27日(日)3:35 「日本人と宗教」

今日は、最近出逢った人とのお話・・・。

*今日は内容的に宗教の話しをするのだが、こういう話しを載せるのは、俺自身大変リスクがあると考えている。
  そこで誤解を先に解いておきたいのだが、今日のお話しは、宗教を拠り所にして生活している人々に出会って
  聞いたことを、俺自身がどう感じたかという話をしているのであって、決して宗教に入れとか、俺がどこかの
  宗教に属しているとかいった事は無いので、そこの所を理解していただきたい。

最近、色々な人々と知り合えるといった状況が多々起こっている。その中で、普段、普通に生きていたら、出会う

確立が少ないだろーなーという人物達がいた。それは、ある牧師さんと、クリスチャンの人々だ。

知り合いになったきっかけはともかく、無宗教が多数を占める日本人の私から見ると、非常に彼等は興味深く見る事が

できた。何しろ明るい!まるでその人にだけ、太陽が照っているかのように明るいのである(笑)

また彼等は、本当に人を助けよう、助けようという気持ちが強い人達でもあった。

話すと良く分かるが、非常に明るいというのは、彼らに全くの悩みみたいなものが無いからであると分かった。

正確に言うと、彼らも人間だから悩みが無いわけでは無いのだろうけど、何か本当に悟っている(?)という感じを

受けた。ストーンと迷いなどが抜けたみたいな感じだろうか。正直な話、それが本当に不自然に感じたし、その人達が

ウサン臭くも見えたりする。ただ、話していてふと思ったのは、普通の人は「人間というのは何かしら悩みやシガラミを

抱えているのであそこまで明るくできるはず無い」と思い込んでいるフシがあるのではないか?だから、彼等のように

明るい人間を見ると、ウサン臭く不自然に見えるのではないだろうか・・・と。

つまり、人間というのは、本来、あのように明るいものであって、彼等がウサン臭いのではなく、彼等が最も自然な

生き方をしているのであって、我々一般の人間が、不自然な生き方をしているのでは無いのかと思ったのである。

俺は、絶対に宗教を拠り所にして生きる生活は出来ないと思うが(笑)、彼等の考え方には興味があるし、彼等の

話しで「ほー・・・」と関心した事もあった。それは、俺が彼らに対して質問した回答にあるのだが、俺は彼らにこーいう

意地悪な質問をした。「教会の方々の中には、一般の人々よりもお金を持っていて、広い家に住み、私よりも良い生活を

されている方々がいるでしょう。その様な人々と、聖書の教えでは矛盾が生じないのか?」と。

するとあるクリスチャンが言った。「聖書は何も、良い車を持つことを願ってはいけないとか、良い生活を目指しては

いけないとは言っていない。見る方向を変えなさいと言っているのだ。ジョークでこーいうのがある。車はベンツ、

腕にはローレックスの時計をはめた金持ちの男がいた。彼は車を降りたところで、ふと時計をハメタ方の腕を車に

差し出した。すると後ろから猛スピードで走ってきたトラックに、車をペチャンコにされ、腕をもぎ取られたのである。

だが、その人は、『あー、俺のベンツかぁ〜・・・あ〜、ローレックスまで〜』と心配したのである。そこで考えることは、

あなたの心配する事はベンツでも、ローレックスでも無いでしょ?あなたの事(腕)を心配するべきじゃないの?

あなたの価値は、ベンツやローレックスにあるのですか?という笑える話しがあるのだが、それと一緒で、

お金を持った場合に、そのお金で価値を決めてはいけない。財産や地位などといったもので人を計ってはいけない。

そのお金や物が何の為(人の為)に使われるべきか考えなければいけないということを教えているのです」という

回答がきた。つまり、例えばパソコンを買うと言った場合に、確かに彼らもそのパソコンで画像を取り込みたいとか

写真をプリントアウトしたいといった、自分の目的の為に買おうという考えを持つが、それだけでなく、そのパソコンで

誰かのために何か出来ないか?と考えて物を買ったりするのだそうだ。その根底には、聖書では「人は一人で生きて

いけないのだから、みんなで助け合って行こう」という考えがあるからだそうだ。

これはクリスチャンとか宗教だとか関係なく、俺もそーいう考えで生きれればいいと思った。

日本人のほとんどが無宗教(信仰心が薄い)人間である。俺はそれでもいいとは思うが、上で言ったような、

“人を助ける気持ち”や“人間を何で計るか?”や“価値をどこに見るのか?”といった教えは、人間として何かしら、

誰かしらに教えてもらう必要があるのでは無いかと思う。俺はこれから先、クリスチャンになる事も、どっかの宗教に

入る事も無いだろうが、そのような教えや、教えてもらう機会が今の日本には足りないのではないかと切実に感じる。

どこかの宗教に入れとは決して言わないが、もし自分の近くにクリスチャンの方など、宗教を拠り所に生活をしている

人々がいるのなら、どのように考えて生活しているのかといった事を聞くのも、自分の生活や考え方に刺激になるのでは

ないだろうか。

2000年2月12日(土)22:40 「ITコンサルという職業について」

久々の日記・・・。ここんとこ何してたかなぁ〜?今週はロクに仕事もしなったし、特に何して遊んだっていうことも

無いかぁ・・・。とりあえず今日の出来事を・・・。今日は、まぶダチの「ユカ」に会った。

そのユカがパソコンを買いたいというので、一緒に観に行ってアドバイスをしたのだ。システムコンサルという仕事に

携わっているせいか、どーもウンチクたれぞうになってしまった。←1番俺の嫌いなタイプだな(爆)

別にITコンサルをしている人間が全てウンチクたれぞうという訳ではないが、基本的に人様の会社に対してアドバイスを

するのがコンサルだから、知っていることをどんどん話して相手に理解してもらうというのが仕事なのだ。

といっても、仕事の場合は全ての情報を話さなかったり、当然自分達の有利な方向になるよう、アドバイスという名目で

誘導したりもする。これがコンサルが“詐欺”と言われる理由の一つでもあるかも(爆弾発言)

まだまだ、続けちゃうぞ!ITコンサルが持てはやされている時代なので、俺がITコンサルの正体を暴いてあげよう(爆)

いつかの日記にも書いたが、コンサルは“詐欺”だと自ら言う経営者は、本当に多い。“詐欺”という言葉をそのまま

捉えられると誤解を招くが、上記で述べたことをしたりもするからかもしれない。でもこれは、珍しいことではなく、

他の職業でも日常的に行われていることなのだ。例えばカー・ディーラーA社の営業員がいたとする。

でもその営業員は、本当はB社の車が「好きで〜、あ〜好きでぇ〜、たぁ〜まぁ〜らぁ〜なぁ〜いぃぃぃ、ソレソレ!」

だったとする。でもその営業員は、客が来れば「ウチの車は最高ですよ!」「B社の車より性能がいいですよ!」

なんちゅーことを平気で言って車を販売しているのである。つまり自分の会社が有利にするように誘導するのである。

世の中、正直に仕事をしている人間がどれほどいるのか?というネガティブ思考も生まれてきそうだが、別にこれが

悪いことでもなく、またB社の車より良いところや、車だけで無く、A社の会社の良いところがあれば別にいいのだ。

ただその営業員はB社で働いていた方が、人生にとって良いものであるとは、少なくとも思うが・・・。

話しが横道にそれたが、その他にコンサルは、非常に顧客とのトラブルが絶えない仕事でもある。どういうアドバイスを

して、その会社がどういう行動に出ても、結果が“BAD“ならそれはコンサルのせいにされてしまう。

「俺は、お前らコンサルの言う事を聞いたら、こういう結果になったんだぞ!どう責任を取るつもりだ!」など。

こっちがアドバイスした事に対して文句を言われるのならまだいいが、こっちが反対したにもかかわらず客が自分の意見を

押し通し、その挙句「お前らが、きちんとしたアドバイスをしないから!」などという企業も少なくない。

ちなみに俺が知っているそーいう企業は、CMが流れている某食品企業である(爆弾発言2)

というわけで、何しろその辺のバランスが難しい。ただ基本的にコンサルは、「事前にこちらがアドバイスをしたことに

関して、その結果がどうなろうとも一切の責任が無い!」という事前契約をするのだが、バカな会社員(管理職)が多く、

これを理解できないのである。(ちょっとフォローすると、システム(IT)を理解していない社員が多いのである。)

これが詐欺と言われる大きな部分では無いだろうか(爆)

さらにコンサルは、「客の言う事を聞き過ぎるな!」という掟がある。客の要求を聞いて、良いシステムが出来たことは、

まず無いに等しい!誰に聞いてもそーだし、俺の経験上もそれは無い。客は時間が経てば経つ程、また、こちらの

アドバイスを聞けば聞くほど、やりたい事が増えて当初の目的やシステムとズレてしまい、その結果、失敗するのである。

ちょっとITコンサルについてまとめよう!
@ITコンサルは、自分がアドバイスした事に関して、その結果に対しての責任は無い。
AITコンサルは、基本的に客の要求を聞き過ぎてはならない。
BITコンサルは、自分の会社が有利になるような嘘も、時々つくことがある。
CITコンサルは、顧客とのトラブルが絶えない。
*全てのコンサルティング会社がこうだとは限りません。

今まで話したことをまとめると、まずこうですね。これだけで“詐欺”と言われる由縁が分かる気もする(笑)

だってお金を貰っておいて、客の言う事は聞かねーわ、責任は取らねーわ、そりゃ自分が客だったら怒るわな(爆)

その他に、
DITコンサルは給料が良いと言われているが、給料以上の仕事をしているので当然だ!
EITコンサルは体力が勝負!3日連続の徹夜、3ヶ月間休み無しでも耐えられる体力が必要!
などなどありますよ(腹が痛くなるほど笑えるわ、こりゃー)

だって、ほんとぉ〜だもぉぉぉーーーーーん♪ 経験者だから俺!(核爆)

最近ITコンサルが持てはやされている。夢を持ってITコンサルタントになろうとしている人間がいるとするならば、

F20代はまず遊べない!G彼女が出来ない!H精神をオカシクする!I体の一部がおかしくなる!

ということも有る可能性が有るという覚悟をして下さいね(爆)これを乗り越えた時にこそ、今言われているような、

良い事を享受できるコンサルタントの一部になれるかもしれないのです。(爆) だって全員が試練に耐えられる訳もなく、

また全員がそんなにいい生活をしている訳ないですよ、ホント。一部の人間です、一部の・・・。

ここまで書いてなんだが、少なくとも俺を含めた社員は、顧客の為になると信じた事をコンサルしているし、その為に

何日も徹夜したり、休み無く働いているので、誰よりも大きなプライドは持ってますよ。

またその一部の人間になれるように頑張っているのです。ただあんまりハヤっているからといって、夢を大きくすると

痛い目に合います(爆爆)以上が、「ITコンサル」についてのコラムでした!

2000年2月6日(日)17:20 「コミュニケーションツールと情報」

(昨日のちょっと続きですよぉー)

今の世の中において大成功している人間はどんな人間だろうか・・・。

やはり“情報”を扱っている人間では無いだろうか。数ある情報の中から有効なものを見極め、その情報を

誰よりも先取りし、また時にはその情報を操る人間である。

最近流行しているキックボードはなぜ流行したか知っていますか?

もちろん手軽な交通手段、ファッション性などというものもあるのだが、それに気付かせるためには世の中の人に

その存在を知ってもらう必要がある。それをするのに使った手が、アルバイトを雇って、アルバイト君達に

キックボードで街中を走らせるという典型的な手法である。ここで人々はやっと、キックボードの存在を知り、

その利便性とファッション性に気付くことになるのである。つまり、情報を操ったのである。

これは俺の単なる偏見かもしれないが、今日本で一番金持ちと言われているソフトバンクの“孫正義”さんにしても

そうである。彼は情報を巧みに、タイミングよく発信して、株価を上げているのではないかと思う。

いかに、人が欲しいと思う時に、欲しいと思う情報を、タイミング良く発信するか・・・。

この手法にしても典型的な広告(マーケティングの手法)に近いものでは無いだろうか。
                           (ちなみにマーケティングについては良く知らん!)

今言うことでもないが、これからは常にアンテナを張っている人間、もしくは必然性のある情報を発信する人間が

勝ちである。そしてそこから受け取った数多い情報を、素早く見極め分別し、自分なりに加工して発信することが

勝ち組みに残る手段の一つである。

そのような意味では、メールフレンドやチャットは、人と人との垣根が無く、情報を手っ取り早くつかむことができ、

また手っ取り早く情報を発信することができるのだと思う。

このツールをいかに使うかが勝負の行方だけでなく、これらの人生を楽しく生きるかの行方を左右するのでは

無いだろうか・・・。

2000年2月6日(日)0:30 「新しいコミュニケーションツール」

最近というか、ここ数年でようやくメールというツールが一般にも広まり、コミュニケーションツールとして

活躍するようになった。一昔前までは、メールは仕事で使うものであり、あまり一般人には関係無いものであった。

インターネットにおいても、仕事先で見ることが出来たぐらいで、プライベートで活用するなどというものでも

無かった。コミュニケーションツールといえば、ポケベルから始まったように思える。当時高校生がポケベルを

持つのは、一種のステータスであり、友達とのコミュニケーションに多用していたものである。

今思えば、暗号のような番号を文章として入力していたのが非常に懐かしい。そのポケベルから携帯へと変わり、

そしてインターネットとメールが付加されたものが、現在の新しいコミュニケーションツールとなったのである。

携帯に至ってはステータスでも何でも無く、持っていて当然というツールとなってしまった。本当に不思議である。

数年前までは、パソコンを使って何かしているとか、ホームページを作成して何かをしているという人間は、

正直、真面目な人間というか、ちょっとマニア的な人間に思われていたのが事実である。
                              (注意:あくまでも一般的イメージですよ!)

それが、今では高校生がチャットやメールを駆使して友達の輪を広げ、コミュニケーションをしているのである。

とは言っても、まだまだ俺の周りで、自分のPCを持っている人間は多くない。そんな連中から言わせると、ネットで

知り合った人間と飲みに行ったり、遊んだりすることは不思議な行動に映るらしい。

現に、俺がネットで知り合った子と飲みに行ったりしているのを聞いた俺の友達が言った言葉に

「それじゃぁー、お見合いじゃねぇーか!すごいなぁー!」というのがある。確かに、会ったことも無く、ただただ

文章だけでコミュニケーションを取っている人間と会ったりするのはお見合いに近いものがあるのかもしれない。

ただ「すごいなぁー」という言葉には、何が不思議なのかという思いも浮かぶ。

これが今の世の中なのだ。今のコミュニケーションの取り方なのである。

それまでのツールを考えると、ポケベルにしても携帯にしても、結局の所自分の知り合える、または知り合いになりたいと

思う範囲での友人としかコミュニケーションを取れない。これは非常に不便というか、不自然なことであると思う。

なぜなら、人それぞれは何かしらの情報を持っているものであり、それを受け取ることもまたそれを伝えることも、

人を限定していては広がらないからである。もし、情報を受け取りたい人間はある一部の人間だけで良く、また伝えるのも

ごく一部の人間だけでいいという人がいるのならば、それは小さなコミュニティで限られた情報を受け取っている、まさに

人里離れた村に住む村人に過ぎないのではないだろうか。(別にこれはこれでも良いのだけど・・・)

インターネットはそこを越えた。誰でも情報を発信でき、また誰の情報でも簡単に見ることができ、そしてその人間と

コミュニケーションを取る事ができるのである。

現に俺は、全く知り合うことのにような人々と知り合いになり、有効な情報を受け取って生活している。また俺のHPは、

誰にでも見ることができ(見たがっている人間は少ないと思うが)、俺へコミュニケーションを送ってくれる人々も

いるのである。その人々は、中学生、高校生、主婦といった普段決して知り合う事の無い方々である。しかしながら、

誰がどんな情報を、俺の欲しがっている情報を持っているのか分からないのである。この続きは明日にしたいと思いますが、

最後に言いたいこととして、情報がなんちゃらということよりも、ネットと人と話したりすることが楽しく思えれば、

難しい話しなんて関係無いってこと!人と人との垣根なく、色々な人々と友達になることによって、自然と有効な情報が

入ってくるのです。ではまた明日・・・。って、俺は誰に言ってるでしょう!(爆)(読んでくれている人いるのかなぁー)

2000年1月28日(金)23:55 「〜リングとらせん パート2〜」

昨日の続きですよぉ〜ん!これを読む前に、昨日の話しを読んでねぇ〜♪(心理学受講経験有り:こうよう(爆)」

「ある所に、靴を扱っている商社が2つあった。その2つの会社は日本での靴の販売数をこれ以上伸ばすことが

  出来ず頭を悩ましていた。その2つの商社にはそれぞれ営業マンA君とB君がいた。

  ある時偶然にも、A君とB君は上司から「我が社も新規市場を開拓しなければ、これ以上靴の販売数は上がらない!

  アフリカのある国で我社の靴を売りたいので、市場調査をしてこい!」と言われました。

 A君とB君はアフリカに飛びました。その国に降りたった二人は驚愕しました。

 なぜならその国のほとんどの住民たちが裸足で生活していたからです。

  二人はすぐさま上司に報告をしました。

 A君は上司にこう報告した。「部長ぉー、駄目です!誰も靴なんか履いていません!靴なんか売れませんよ!」と。
 
  B君は上司にこう報告した。「部長ぉー、すごいです!誰も靴を履いてません。靴を売ればすごい数が売れますよ!」と。

 A君の会社はA君の報告を受け、その国での販売を止めた。結果的に靴の販売数は伸びることは無く、会社の状況も

  変わらなかった。B君の会社は、B君の報告を受けその国での積極的な販売をした。結果的にB君の会社は市場を独占し、

  靴の販売数を伸ばし、会社の状況も見る見るうちに変わっていきました。」

というお話しでした。A君とB君の違いは何だったのでしょう?それは、A君とB君の発想の違いに他なりません。

A君は、住民の裸足を見た段階で靴の需要は無いと発想をし、B君は、それを見た段階ですごい需要があるという発想を

したのです。これがが発想をどう持つかの大事なところです。

どうです?あなたも今ある固定観念を捨て、発想の転換(パラダイム変換)を行ってみては?

今の状況が変わるかもしれませんよ・・・。

おぉぉぉー言われてみればそうだなぁー、ぐらいに思ってくれちゃった人は是非掲示板に感想を書いてください!

*休みが無くなって18日目・・・そろそろマジで、頭いっちゃってるかも(自爆)

2000年1月28日(金)2:00 「こうようの今日のコラム(早く寝ろっつーの、俺!)」

初めてこのページに来た方は「なんだ、面白くなぁ〜い!」って思わないでね!たまにだから、真面目な話しは(笑)

****副題「りんぐとらせん」*難しいので、ゆーっくり想像しながら読んでね!****

人間は、人間の人生は、人間の運命は、人間の行動は、螺旋(らせん)である。

それはDNAの螺旋状のような形をしている。もしかして、DNAが人間の全ての基本なのだとしたら、

それらが螺旋なのも納得できる。(出来るのは俺だけか?ぷっ)

人間の行動、人間の思考を一本の紐と考える。それがぐるぐると縦に螺旋状になっている。(竜巻のようなカンジね)

今、その螺旋上のある一点にあなたの思考があるとする。その螺旋は上方向に行けば行くほど、プラス思考となりあなたに

良い結果をもたらし、下に行けば行くほどマイナス思考となり、あなたに悪い結果をもたらせる。

もしあなたが、今ある一点で少しでもマイナスとなる思考をしていれば、あなたのその点は、どんどん自然に下に転げ落ちる。

もしあなたが、今ある一点で少しでもプラスとなる思考をしていれば、あなたのその点は、どんどん自然に上に行くことが

出来るのである。分かりやすく説明すると・・・

この螺旋を「発想→行動→結果→環境→発想」という輪廻と考える。(ぐるぐる繰り返すってことよぉ〜ん!)

あなたは発想し、その発想に基づいて行動し、その行動により結果が生まれ、その結果によって環境が変わる。

あなたが、発想の時点からマイナス思考だった場合を考える。
 マイナスの発想から生まれたものは→マイナスの行動である。
 マイナスの行動から生まれたものは→マイナスの結果である。
 マイナスの結果がもたらしたものは→マイナスの環境である。
 マイナスの環境から生まれるものは→マイナスの発想である。

逆にあなたが、発想の時点からプラス思考の場合を考える。
 プラスの発想から生まれたものは→プラスの行動である。
 プラスの行動から生まれたものは→プラスの結果である。
 プラスの結果がもたらしたものは→プラスの環境である。
 プラスの環境から生まれるものは→プラスの発想である。

というような輪廻が基本的に形成されているのである。(俺の独断と偏見だけどね)

ではプラスの考えを常に持っていれば、成功するのか?それは、そうでは無い。もちろん各過程には様々な要因が

存在しているので、そうはいかないであろう。しかしながら、その要因に負けて、さらなるマイナス要因を生み出すことは、

マイナスを繰り返すだけである。もしマイナスの環境に今いるのだとしても、発想をプラスに転換していくことにより、

良い結果がもたらせられるのでは無いだろうか。

どうでした?ちびっこGANGにはちょっと難しい話しだったかなぁー・・・。でも真面目なのもたまにはいいでしょ?

えっ?何言っているか訳わからないって?こうよう、薬かなんかやってないかって?(笑)

いやいや、あんまりバカなことばっか書いてるから、最近疑われているので、たまには真面目なものを書いただけですよ(自爆)

ここまで考えている俺って、すごくなぁ〜い?(自画自賛)

っで、恐ろしいことにこれには続きがあるんですねぇ〜・・・。続きは、あ・し・た!

2000年1月20日(月)PM11:00 「偶然の一致・・・」

ちょっと最近面白いと思う事。

最近、偶然の一致というのが俺のまわりで頻繁に多発している。俺はこの偶然の一致を偶然とは思わないように

しているんだけど、起こった偶然には何の意味があるんだろうと考えると、少しワクワクしたりする。

「なぁーに言っちゃてるんだかなぁー」と思う人もいるかとは思うけど(それを否定はしないし)、

もし何か意味があるのだとしたら面白いと思わない?

最近良くあるのは、ふと思っていたこと(電車の中とかで無意識に想像したこととか)が、その後に偶然にも起きたりする。

それとか想像していた人物(めったに電話することのない人)とかを思い出したりして、その日に電話が掛かってきたりとかって。

あるとき電車の中でボッーとある友達のことを想像してて、どこかの場所で二人で話しているイメージというか、俺がその友達に

何かを相談しているのが浮かんだのです。

(無意識にですよ・・・。だって意識的に想像していたら単なる危ない人になっちゃうじゃん(爆))

とりあえず、それはそれで終わったんだけど、その日というのが美容院に行く予定だったんで普段仕事で遅い俺が、

その日だけは早く帰れるようにセッティングしていたのです。

ところが、いざ電話するといつもの担当者がお休みで、家に帰るほかなくなってしまったんだけど、地下鉄に入る直前に

携帯が鳴ったのです。っで、誰からかというと、朝方電車で想像していた人からで、これから会わないかという内容でした。

その人というのは、仲の良い友達ではあるけど、二人で会ったり、その人から直接俺を誘ったりするといった間柄では

無い人なのですよ。っで二人で居酒屋に行って話したんだけど。

その時に思ったのが、今日俺が美容院に行っていたら、こういう風にこの人と二人で話してないんだろうなぁーとか、

あの時数秒遅れで、地下鉄に入っていたら、あのまま自宅に帰っていたんだろうなぁーとかって思ったわけですよ。

っで、この偶然には何の意味があったのかって考えたら、その友達が俺に相談したことがあって、それというのが俺が

今悩んでいたことで、さらに俺が想像でその友達に相談した内容と同じだったのです。

俺はその友達に相談を持ちかけられて、どーしたら良いとか、あーしたら良いとかって応えているわけだけど、それって、

自分の悩んでいることに対する自分の回答だっていうことに気付いたのです。

何か面白いなぁーって・・・。単なる偶然と言われればそれまでだけど。ちょっと前に話した「イーグル」の話しとも

関係するような気がするんだけど、このことに気付かなかったら、俺は今でも同じことで悩んでいたのかも・・・。

だから、こういう偶然の“意味“に気づいたら、もっと面白いのかも・・・。

あっ、言っておくけど、俺はヤバイ薬とか、変な宗教とかってやってないからね!(核爆)

というわけで、最近、何か面白いなぁーっていうことのお話しでした・・・。

2000年1月12日(月)AM0:45 「イーグル」

今日は俺の心に残っている、あるお話しをします。

・昔々ある所に、大きな山がありました。その山のてっぺんには一匹のイーグルすんでいました。

 巣にはいくつもの卵があって、イーグルは子供が無事に生まれるよう一生懸命育てていました。

  ある日、ひょんなことからいくつかの卵の内、一つが山のてっぺんからコロコロと転がっていってしまいました。

 山のふもとには、ニワトリさんたちが住んでて同じように卵を産んでいました。

 そこにイーグルの卵が紛れこんでしまったのです。

  時が経ち、転がった卵から子イーグルが生まれ、成長しました。人間からエサをもらって暮らしていたニワトリと一緒に、

 子イーグルは地面に落ちているエサをつついて暮らしていました。

  ある時、子イーグルは空を見上げました。そうすると、空高く大きな翼を広げた親イーグルと、その子供たちが飛んでいました。

 子イーグルが言いました。「いいなぁー。気持ちよさそうだなぁー。僕も空を飛びたいなぁー。」

 それを隣で聞いていたニワトリが言いました。「無理無理!いいんだよ!エサを食べようぜぃ!」

 子イーグルは思いました。「仕方ない。エサを食おう」
 
 ある時、また空を見上げました。そうすると、また大きな翼を広げた親イーグルと、その子供たちが飛んでいました。

 子イーグルは言いました。「気持ちよさそうだなぁー。やっぱり空を飛びたいなー。練習すれば僕も空を飛べるかも」

 またまたそれを聞いていたニワトリが言いました。「バカ!無理に決まってるだろ!お前はエサを食べてればいいんだよ!」

 子イーグルは思いました。「そりゃそうかも。無理だよな・・・。いいやエサを食べよ!」
 
 さらに時が経ち、いつしかその子イーグルは死んでしまいました。
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  ここで、何が言いいたいのでしょう? みんな分かりますか?
 
 「あなたにも大きな翼がついているのです。気づくも、気づかないもあなた次第なのです。
  気づかずに死んでいくのと、それに気づいて翼を広げるのとどっちを選びますか?」

  というお話しでした。もし悩んでいる人がいるのなら、自分の可能性に気付いて、早く羽ばたきましょう!