エラム王国は現在のイラン南西部を中心として、紀元前2700年頃には成立したと言われる。メソポタミアに隣接しているのでかかわりが深く、ウルやバビロニア、アッシリアなどと長年争いながらも、2000年以上存続した。紀元前1200年頃のバビロニア攻略ではハンムラビ法典を持ち帰り、後にスーサで発見されることになる。首都スーサはペルシャ帝国時代にも首都となったため、エラム時代の遺構は少なく、宗教都市チョガー・ザンビルが一番の見所である。

 BC2700頃 エラム古王国成立
 BC2000頃 古王国最盛期。メソポタミアのウル第3王朝を滅ぼす
 BC1200頃 中王国最盛期。バビロニアを攻略する
 BC1100頃 バビロニアにスーサを攻略され、中王国弱体化
 BC700頃  新王国最盛期。バビロニアと組んでアッシリアと戦う
 BC646   アッシリアにスーサを攻略され弱体化
 BC539   アケメネス朝ペルシャに滅ぼされ滅亡
 
イラン・フーゼスターン州
 チョーガ・ザンビル(世界遺産) 
 紀元前1250年頃、エラム王国の宗教的中心地として建造された、ジグラットと呼ばれる階段式ピラミッド。ジグラットはメソポタミア文明を代表する建築物であるが、現在のイラクは行かれる状況にないので、ジグラットを見たければここに行くしかない。ということで、イランに行くときはここがコースに含まれていることを絶対条件にしていた。
 午前中のスーサ遺跡をじっくり見たので、ここに着いたのは炎天下の12時40分。あたりには小さな管理小屋以外何もなく、忽然と現れるジグラットは何とも言えない雰囲気である。105m四方の巨大なもので、今は3段目までしかないが、かつては2倍以上の50mの高さがあったという。近づくと見上げるようになって、その大きさが実感できた。
2012.5 ジグラット南東側
 ジグラットはロープで囲われていて登ることはできない。しかし管理のおじいさんが下の段に少しだけ入れてくれた。かつて門の閂を差し込んだと思われる穴や、楔形文字が刻まれたレンガを目の前で見ることができてラッキーである。アーチ形の排水溝や、通路を複雑にして上に行きにくくしている所など、計算された技術も見応えがあった。 
2012.5 ジグラット1段目 門の閂 2012.5 アーチ形の排水溝
 ジグラットの南西側は壁や階段がよく残っていて、いちばんピラミッドの美しさが感じられる。前にある丸いものは日時計と言われているが、現地の案内では日時計じゃないと書いてあってよくわからなかった。ジグラットの北西側には神殿、北東側は生贄を捧げたと言われるマウンドのようなものがあって、一周すると各面の特徴がよくわかる。1時間強の観光はあっという間だったが、さすがに暑く腹も減った。 
2012.5 ジグラット南西側と日時計 2012.5 ジグラット北西側
 ☆世界遺産「チョーガ・ザンビル」 1979年登録

エラム王国