もとは赤谷鉱山の鉱石運搬を主目的として建設された路線で、昭和40年代の鉱山閉山によってその役割を失っていたと言える。旅客の輸送密度は多い時期でも2千人未満であり、第1次特定地方交通線に選定されて早い段階で廃止となった。 1925.11.20 新発田〜赤谷間開業 1941.6.1 赤谷〜東赤谷間延伸 1981.9.18 第1次特定地方交通線として廃止承認 1984.4.1 全線廃止 |
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廃線跡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新発田-東赤谷18.9km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
赤谷駅のすぐ手前までサイクリングロードとして整備されており、廃線跡は見つけやすい。ガードレールなどはないので、雰囲気はまずまずである。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006.11 五十公野付近@ | 2006.11 米倉付近A | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
赤谷の手前で突然道が途切れて、路盤がそのまま残されている区間がある。赤谷駅跡とその先も鉄橋は見つけたが、そこから東赤谷までは廃線跡を見失った。終点の東赤谷駅はスイッチバックで知られていたが、周囲に全く人家のない広い空き地になっていて、ここまで鉄道が来ていたとは信じられない風景だった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006.11 新山内-赤谷間B | 2006.11 赤谷駅跡C | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006.11 赤谷-東赤谷間D | 2006.11 東赤谷駅跡E | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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赤谷線