三井芦別鉱業所から採掘される石炭を運ぶため、戦争直前から戦時中にかけて建設された鉄道。時代が平成に変わるまで生き残った、唯一の運炭鉄道でもある。晩年は国策によって維持されていたため、最後まで黒字だったようである。

  1940.12.8 三井鉱山下芦別(のちの芦別)〜西芦別(のちの三井芦別)間開業(貨物鉄道)
  1942.5.5  芦別〜西芦別間旅客営業開始
  1945.12.15 西芦別〜頼城間開業
  1949.1.20 地方鉄道となる
  1960.10.1 鉄道部門が独立し三井芦別鉄道となる
  1972.6.1  全線旅客営業廃止
  1989.3.26 全線廃止
1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985
 輸送人員(千人/日) 5.8 7.0 8.4 5.6 1.4
 輸送密度(千人/日) 2.8 3.4 4.1 3.3 0.8
 貨物輸送量(万t/年) 70.6 69.2 86.9 141.0 138.1 107.1 76.8 75.4
営業係数 83 119 90 88 93 85 85 94
廃線跡
 芦別-頼城9.1km
  訪問したのは廃止から22年、旅客営業がなくなってからでは39年にもなるが、驚いたことに三井芦別駅の駅舎は企業の社屋として現役である。ホームも残っていると聞いていたが、見つけられなかった。
2011.7 芦別〜高校通り間@ 2011.7 三井芦別駅跡A
 ここの最大の見所は、炭山川橋梁。ガーター橋が残っているだけでなく、まるで走っているかのようにディーゼル機関車と貨車が展示してある。雪の季節は倉庫に移して、春になるとまた橋の上に運ぶらしい。廃線マニアのためにここまでしてくれる所は、他にないと思う。
2011.7 入山〜中の丘間 炭山川橋梁B
 緑泉の駅舎も、民家として生き残っている。終点の頼城駅の位置はよくわからなかったが、周辺に炭鉱住宅の雰囲気が残っていた。
2011.7 緑泉駅跡C 2011.7 頼城駅跡D
 
車両
 SLは延べ10両で、このうち5両は新造車。DLとDCは、それぞれ1形式3両のみである。廃線後、DCの3両は関東鉄道キハ711-713となり、最後は鹿島鉄道で1992年まで活躍した。 
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1(5500) 1 2Bテンダ 1941 1957 もと三井鉱山
2(600) 1 1B1タンク 1942 1953 もと江若
3(1400) 1 Cタンク 1949 1952 もと渡島海岸
C11 1-3 3 1C2タンク 1949 1958
C58 1-2 2 1C1テンダ 1950 1970
9600 1-2 2 1Dテンダ 1950・52 1965 もと国鉄
DL DD501-503 3 13600mmB-B形 1965・66・86 1989
DC キハ101-103 3 20100mm液体式 1958 1972
PC ホハフ1等 8 ボギー車 1941-55 1970 もと国鉄等
ニフ1等 2 2軸車 1944・55 1961 もと胆振等
 DD50形
 三井芦別鉄道唯一のDLで、国鉄DD13形と同タイプ。501・502の2両導入したことによりSLが役割を終えた。1986年に503を増備したが、その3年後に廃線となっている。503は京葉臨海鉄道に譲渡され、2001年まで活躍した。また501は、炭山川橋梁の上で保存されている。 
2011.7 DD501:炭山川橋梁

三井芦別鉄道