ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国の下で13世紀から現在のオーストリアとスロベニアの一部を所領とする。16世紀には神聖ローマ帝国の皇帝を名乗るようになり、またハンガリーの王位も継承してハプスブルク帝国とも言われる全盛期を迎えた。19世紀はじめには神聖ローマ帝国消滅によりオーストリア帝国が成立し、19世紀半ばからはオーストリア・ハンガリー帝国となるが、オスマン帝国との対立が第1次世界大戦の引き金となり、戦後、帝国は解体された。


ザルツブルク州
 ザルツブルク(世界遺産)
 紀元前から岩塩の交易で栄え、9世紀には司教座がおかれた。ホーエンザルツブルク城は1077年に大司教の居城として建てられている。モーツァルトの生地としても知られる街である。
 ミュンヘンから15時頃到着。街の中心にあるミラベル庭園は、ホーエンザルツブルク城が真正面に見えて花畑といっしょに見られた。モーツァルトの生家は、人は多かったが特に特徴のない家である。
1992.8 ミラベル庭園
奥にホーエンザルツブルグ城
1992.8 モーツァルトの生家
 ホーエンザルツブルク城に登っていくと、途中で雨が降ってきて残念な気持ちになる。それでも蛇行した川に沿った旧市街の眺めはよかった。
1992.8 大聖堂 1992.8 ホーエンザルツブルグ城より
手前に大聖堂
 ☆世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」 1996年登録
ウィーン
 ウィーン(世界遺産)
 ウィーンは、1155年にバーベンベルク家が都を遷したことにより、地域の中心となる。1278年からは支配者がハプスブルグ家に代わり、やがて大帝国の中心となっていくのである。16世紀と17世紀に2度オスマン帝国に包囲されるが、占領されることはなかった。19世紀のフランツ・ヨーゼフ1世の時代に、人口増加に対応するため、城壁を撤去して環状道路にするなどの大規模な都市改造を行って現在の姿になっている。
 観光はシュテファン大聖堂からスタート。65年間かけて1359年に完成したもので、教会の塔としては世界3番目の高さだという。ステンドグラスは美しかったが、塔の上からの景色はよくなかった。
1992.8 シュテファン大聖堂 1992.8 シュテファン大聖堂内部
 ホーフブルク宮殿は、最初につくられたのは13世紀頃で、ハプスブルグ家の王宮として使用された。部屋の中はすばらしく、とくに食堂が印象に残った。
1992.8 ホーフブルク宮殿 1992.8 国立オペラ座
 カールス教会は、1713年にカールス6世がつくらせたもので、バロック様式。ベルヴェデーレ宮殿も1714〜1723年に夏の離宮として建てられたバロック様式である。ベルヴェデーレが工事中だったのは残念である。
1992.8 カールス教会 1992.8 ベルヴェデーレ宮殿
 シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮として1695年に着工され、1740年女帝マリア・テレジアの居城となって多くの建物が増築された。1815年のウィーン会議が開かれた場所としても知られる。中はガイド付きで見られたが、ホーフブルグ宮殿と似た印象の部屋が多かった。外には動物園や植物園もあって不思議である。奥の丘の上からの眺めがよかった。
1992.8 シェーンブルン宮殿 1992.8 シェーンブルン宮殿
 ☆世界遺産「ウィーン歴史地区」 2001年登録
   ホーフブルク宮殿、シュテファン大聖堂、ウィーン大学、国立オペラ座、ベルヴェデーレ宮殿、
   オーストリア議会議事堂、ウィーン市庁舎、カールス教会、ブルク劇場、自然史美術館、
   美術史美術館、カールスプラッツ駅舎、郵便貯金局
 ☆世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」 1996年登録
チロル州
 インスブルック
 インスブルックを含むチロル地方は、14世紀頃からハプスブルグ家の支配下に入り、豊富な資源がハプスブルグ家を潤すことになった。ナポレオン戦争中の一時期バイエルン王国領となるが、すぐオーストリア領に復帰している。周辺で都市といえるのはインスブルックだけであったため、ドロミテへ向かう途中の宿泊地として選んだ。観光は朝の散歩程度だが、美しく気持ちのいい街だった。
1996.7 インスブルック市街 1996.7 黄金の小屋根

ハプスブルグ帝国 -オーストリア