アクスム王国は、3000年前から栄えたといわれる。エチオピアの伝承では、シバの女王が治めた南の国こそがアクスムとも言われているのである。シバの女王の国はイエメンという説もあるが、イエメンとエチオピアは紅海をはさんでほとんど隣合っているので、両方にまたがっていたのかもしれない。 アクスムが最も栄えたのは、4世紀のカレブ王の時代から6世紀のエザナ王の時代であり、カレブ王の時代にははやくもキリスト教が国教とされている。10世紀のグディットの侵攻によって衰え、12世紀までには滅亡している。 |
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ティグレ州 アクスム | |
シバ女王の神殿 | |
シバ女王は3000年前の伝説的な人物なので、本当にシバ女王の神殿と裏付けられればすごいことなのだが、確かなことは何もわかっていない。遺跡も規模は小さく、単調な石組みがほとんどなので見応えはあまりなかった。神殿の正面には、いつの時代のものかわからない石碑が点々とあって、こちらの方が想像力をかきたてられる。 | |
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2011.5 シバ女王の神殿 | 2011.5 シバ女王の神殿 |
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2011.5 シバ女王の神殿 | 2011.5 シバ女王の神殿の前の石碑群 |
アクスム(世界遺産) | |
アクスムにはシバ女王の神殿からシオン教会まで個性的な見所がいくつもあるが、世界遺産として登録されているのがどこまでの範囲か、よくわからない。確実に世界遺産であるのは、街の中心にあるオベリスク群である。オベリスクというとエジプトのイメージなので、ここではステッレと呼ぶ方が正しいのだろうか。 これはアクスム王国全盛期に検討されたもので、かつては大きいものだけでも64あったといわれる。中でも最大のものは倒壊していて、2番目のものは長らくイタリアに運ばれたままであったが、2005年に返還された。ホテルからもよく見えたが、近づくと彫刻がわかっておもしろい。小さな博物館ではかつての宮殿の説明などもあったが、どこにあったものなのかよくわからなかった。 |
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2011.5 オベリスク群 | 2011.5 オベリスク群 |
☆世界遺産「アクスム」 1980年登録 | |
カレブ王の墓 | |
宿泊したヤハ・ホテルに近いので、アクスムに到着して最初に訪れた。途中の道はかなり悪かったが。 地上にはほとんど見どころが無く、地下室が2つある。中には石棺らしきものがある程度で、カレブ王の墓と本当に特定されているのか疑問が湧く。石棺や壁には十字架が刻まれていて印象に残った。 |
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2011.5 カレブ王の墓 | 2011.5 カレブ王の墓 内部 |
カレブ王の墓へ行く途中、道端の物置のような建物の中にエザナ王の碑があった。「この石碑を持ち出す者は予期せぬ死に遭う」という言葉が、ご丁寧にギリシャ語、ザビアン語、グズ語の3つの言葉で書いてあったため、動かせないのである。写真では見にくいが、見たことのない文字が石碑の4面すべてを埋め尽くしている。 | 単なるため池にしか見えないが、シバの女王のプールという壮大な名前がついている。溜まっているのは聖なる水かと思ったら、生活用水として水汲みをしていた。 |
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2011.5 エザナ王の碑 | 2011.5 シバ女王のプール |
シオンの聖マリア教会 | |
さまざまな物語や映画に登場する、失われたアーク伝説ゆかりの地で、シバ女王とソロモン王の子メネリクT世が、エルサレムからアークを持ち帰り、この教会で今でも保管されているという。最初に教会が建てられたのは321年と言われるので、1300年間も時期がずれていてとても信じられないが、インディ・ジョーンズやハンコックの「神の刻印」の世界と考えれば謎めいていて楽しめる。現在の古い聖マリア教会は17世紀の再建、新しい聖マリア教会は1960年代に建てられたものである。 古い聖マリア教会は聖職者以外入ることができないので、新しい聖マリア教会に入ると、絵や聖書をせっせと見せてもらえる。さらに男性だけは別の建物に入ることができるというので、ついていくと最後に露骨にチップを要求された。 |
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2011.5 古い聖マリア教会 | 2011.5 新しい聖マリア教会 |
アクスム王国