現在のアゼルバイジャンは、古代にはカフカス・アルバニア王国(現代のアルバニアとは異なる)が存在したが、その後はパルティアやササン朝ペルシャなどによる支配が続く。そして861年、アッバース朝の混乱に乗じてシルバン・シャー朝が成立した。その後、セルジュク朝やチムール帝国に囲まれて、その程度独立を保っていたのかはっきりした資料が見つからないが、1501年にサファービー朝が登場するまで存続したようである。
 サファービー朝はアゼルバイジャンが発祥の地だが、のちにイランのイスファハンに遷都する。アゼルバイジャンはオスマン・トルコやロシアとの争奪の地となり、1813年に北アゼルバイジャンがロシアに併合された。これが1991年に独立したアゼルバイジャンで、南アゼルバイジャンは今もイラン領のままである。

アゼルバイジャン
 バクー(世界遺産)  
 バクーはカスピ海に臨む港湾都市で、12世紀からシルヴァン・シャー朝の首都となっている。帝政ロシア時代以降は石油の採掘で潤い、高速ビルが立ち並ぶ大都会になった。
 観光の最初は、高台にある殉死者の小路から街を見下ろす。旧市街は手前の一角だが、高層ビルが少ないこと以外は特に特徴がなかった。
2010.5 殉死者の小路より バクー市街
 旧市街に入ると、まずシルヴァン・シャー宮殿を見る。いくつもの建物が集まっているが、1つ1つはこじんまりとしている。ローマ遺跡のようなハマム跡がいちばん記憶に残った。
2010.5 シルヴァン・シャー宮殿内部 2010.5 シルヴァン・シャー宮殿内部
2010.5 シルヴァン・シャー家の霊廟 2010.5 ハマム跡
 宮殿を出ると、13世紀のシャマハ門を見ながら城壁沿いに乙女の塔まで10分ほど歩く。乙女の塔は12世紀のもので、自由時間があったので上まで登った。旧市街が一望できるが、歴史を感じさせるのはモスクの塔だけで、インパクトのない風景だった。
2010.5 シェマハ門 2010.5 ハジュ・ハマム
2010.5 乙女の塔 2010.5 乙女の塔の上より
 バクー郊外  
 翌日の午後、バクー郊外の観光は拝火教寺院から始まった。ここはゾロアスター教の寺院で、自然発火する石油が火を崇める信仰と結びついたのだろう。しかし現在では観光地としてのみ存続しているようである。今でも火が燃え続けている山、ヤナル・ダグにも行ったが、わざわざ観光で見に行くものだろうか?と疑問符がつくような所だった。
 バクー郊外のもう1ヶ所はマルダキャン要塞で、ここも自由時間に上まで登った。遠くに青いカスピ海が見えて気持ちの良い風景だった。
 
2010.5 拝火教寺院 2010.5 マルダキャン要塞 

シルヴァン・シャー朝