高砂線もローカル線であるが、かつでは途中の野口駅からさらにローカル私鉄が分岐していた。別府港までの貨物輸送が主な目的であったが、最後まで旅客輸送も行っており、最も輸送人員が少ない私鉄とも言われた路線である。

  1921.9.3  別府軽便鉄道野口〜別府港間開業
  1923.3.18 別府港〜土山間開業
  1945.1.11 野口〜別府港間休止(47.5.22再開)
  1946.4.1  別府鉄道と改称
  1984.2.1  全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980
 輸送人員(千人/日) 0.5 0.3 0.3 0.4 0.7 0.6 0.5 0.3
 輸送密度(千人/日) 0.2 0.2 0.1 0.2 0.3 0.2 0.2 0.1
 貨物輸送量(万t/年) 7.6 12.4 17.3 16.1 16.1 21.7 15.0 12.3
営業係数 87 98 99 99 101 99 156 117
廃線跡
 野口線(野口〜別府港3.7km)
 こちらの廃線跡は、ほとんどが団地の間の歩行者道となっていて、うまく鉄道を活かせば通勤路線になったのではないかという気がしてならない。終点付近は区画整理されたらしくわからなくなっていた。 
2005.12 野口-藤原製作所前間@ 2005.12 円長寺駅付近A
2005.12 別府港駅跡B
 土山線(土山〜別府港4.1km)
 土山線も、多くの区間が遊歩道になっている。廃線跡の途中に播磨町郷土資料館があり、かつての機関車と客車が保存されている。 
2019.1 土山〜中野間C 2019.1 播磨町郷土資料館D
車両
 戦前に使用されたのは、SL3両、ガソリンカー2両、PC2両のみ。DCの導入は1959年、DLは1964年なので、比較的遅かった。なお、戦後の新造車は、DB201の1両だけだった。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-2 2 1Bタンク 1922 1964
3 1 Cタンク 1927 1956 もと国鉄1050
5-6 2 Cタンク 1950・56 1967 もと北丹3、西武2
DL DC301 1 7350mmC形 1964 1978 もと江若DC301
DC302 1 8330mmC形 1966 1984 もと倉敷市DC501
DB201 1 8050mmB形 1965 1984
DD502 1 11200mmB-B形 1978 1984 もと新日鉄D4502
DD1351 1 13300mmB-B形 1970 1984 もと江若DD1351
GC キハ1-2 2 7452mm単車 1932・34 1965
DC キハ3 1 13570mm 1959 1984 もと三岐キハ6
キハ2 U 1 12920mm 1965 1984 もと三岐キハ5
キハ101 1 16600mm 1974 1984 もと片上キハ301
PC ハフ1-2 2 8001mm 1921 1965 もと国鉄ロハ898-899
ハフ3 1 8052mm 1951 1965 もと国鉄ヨ391
ハフ5-7 3 9347-9790mm 1959 1984 もと三岐ハフ14-16
 DC302・ハフ5
 DC302は、倉敷市交通局(現在の水島臨海鉄道)が1953年に導入した、30t機。晩年は別府港での入換に使用されることが多かった。また、ハフ5は神中鉄道(現在の相模鉄道)が1930年に導入したガソリンカー・キハ10がルーツで、三岐鉄道を経て入線している。土山線の廃線跡にある播磨町郷土資料館で、往年のDL編成を思わせる姿で保存されている。
 
2019.1 DC302:播磨町郷土資料館  2019.1 ハフ5:播磨町郷土資料館
 キハ2
 ルーツは三岐鉄道が1931年の開業時に導入したガソリンカーで、戦後ディーゼルカーとなり、1965年に入線した。野口線の主力として活躍し、野口線円長寺駅跡で保存されている。2019年の訪問時は、再塗装などの整備中だった。
2005.12 キハ2:円長寺駅広場 2019.1 キハ2:円長寺広場
 キハ3
 ルーツは、佐久鉄道(現在の小海線)が1930年に導入したキホハニ56。国有化後、三岐鉄道に移り、キハ2と同じような荷台が取り付けられていた。1959年に、別府鉄道初のボギー車DCとして入線したが、キハ2の登場後は予備車となっていた。廃線跡、佐久鉄道時代の姿に戻され、佐久市内で保存されている。
2018.12 佐久キホハニ56:佐久市成知公園

別府鉄道