住友金属鉱山・別子銅山上部鉄道
住友金属鉱山(端出場〜惣開10.5km) | |
江戸時代から栄えた別子銅山の鉱石輸送を目的として、明治時代に建設された専用鉄道。戦前から戦後にかけての25年程度一般営業も行われた。1973年に銅山は283年の歴史を終え、鉄道も1977年に廃止されている。 1893.5 専用鉄道惣開〜橋出場間開業(下部鉄道) 1929.11.5 住友別子鉱山の地方鉄道となり一般旅客営業開始 1937.6.21 合併により住友鉱業と改称 1942.11.12 国鉄連絡線開業 1952.6 住友金属鉱山と改称 1955.1.1 一般旅客営業廃止、鉱山鉄道となる 1967.1.31 国鉄連絡線廃止 1967.3 惣開〜星越間廃止 1977.2.1 星越〜端出場間廃止 終点の端出場は、マイントピア別子となっている。ここではSLが客車を曳く遊戯施設があるが、SLは本物ではない。 |
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2011.6 マイントピア別子I | 2011.6 マイントピア別子I |
下部鉄道の探訪は2年後の2013年。惣開駅のあたりは立派な道路になってしまっている。このあと一度廃線跡を見失うが、星越トンネルの出口から廃線跡が更地として残っている。星越の駅舎も残っているようだが探し忘れた。星越から先はサイクリングロードになっている。 | |
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2013.5 惣開駅跡@ | 2013.5 惣開〜星越間A 左に鉄道時代の架線柱が見える |
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2013.5 惣開〜星越間B 星越トンネル |
2013.5 星越駅跡C |
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2013.5 星越〜多喜ノ宮間D | 2013.5 多喜ノ宮〜土橋間E |
しばらく廃線跡がなくなるが、平地が終わるあたり、学校の裏に山根駅のホームが残る。ここから廃線跡は山道となり、トンネルがそのまま残されていた。人家から完全に離れ、サルが歩く廃線跡を進んで行った先、黒石駅もホームが残っていて雰囲気が素晴らしい。 | |
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2013.5 山根駅跡F | 2013.5 山根〜黒石間G |
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2013.5 山根〜黒石間G | 2013.5 黒石駅跡H |
黒石駅から一度引き返して、終点の端出場へ。曲線が美しい打除鉄橋は当時のものである。 | |
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2013.5 端出場駅跡I | 2013.5 打除橋梁I |
滝ノ宮で分岐して、新居浜駅までの国鉄連絡線も建設されていた。今は全区間が遊歩道となっていて、新居浜の近くは線路のような模様がある。 | |
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2013.5 国鉄連絡線跡J | 2013.5 国鉄連絡線跡K 左に分かれるのが本線 |
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別子銅山上部鉄道(石ヶ山丈〜角石原) | |
惣開〜端出場の下部鉄道が専用鉄道として開業したのと同じ1893年、石ヶ山丈〜角石原間の上部鉄道も完成した。石ヶ山丈は標高850m、角石原は標高1100mという本格的な山岳鉄道で、石ヶ山丈から架空索道で標高156mの端出場まで荷物を降ろすというシステムであった。通洞開通などによる輸送力増強によって、上部鉄道は1911年に役割を終えている。 1893.12 別子銅山の上部鉄道開業 1911.10.7 上部鉄道廃止 銅山施設が残る東平(とうなる)から、険しい山道を登って行ったところに上部鉄道跡がある。誰もいない山の中のあちこちに立派な石垣が残っていて、驚きの一言である。とくに崩れかけた木の橋とそれを支える石の橋脚は、なんとも言えない雰囲気だった。 |
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2011.6 上部鉄道M | 2011.6 上部鉄道M |
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2011.6 上部鉄道M | 2011.6 上部鉄道M |
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2011.6 上部鉄道M | 2011.6 角石原駅跡M |
東平は、かつて黒石駅までの索道が通っていた重要なポイントである。当時の巨大な施設が残っていて、東洋のマチュピチュと宣伝されている。マチュピチュは言い過ぎだと思うが、雰囲気はなかなかよい。周辺には坑道や鉱石を運んだ軌道などがいくつも残っていた。 | |
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2011.6 東平の銅山施設L | 2011.6 東平の銅山施設L |
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2011.6 東平の銅山施設L | 2013.5 端出場の四通橋I |