一時は道内の私鉄の中で貨物輸送量がいちばん多かった鉄道。他の多くの路線と同じように、炭鉱の閉山とともに廃止された。

  1914.11.5 石狩石炭美唄〜沼貝(のちの美唄炭山)間開業
  1915.10.11 美唄鉄道となる
  1919.2.10 三菱鉱業の専用鉄道として美唄炭山〜北一の沢(のちの常盤台)間開業
  1924.12.15 美唄炭山〜常盤台間が地方鉄道となる
  1950.4.25 三菱鉱業美唄鉄道となる(65.6.16美唄炭鉱、71.7.1三菱大夕張炭礦と変遷)
  1972.6.1  全線廃止
1941 1949 1955 1960 1965 1970
 輸送人員(千人/日) 2.5 7.6 8.1 6.8 3.1 0.9
 輸送密度(千人/日) 1.5 2.0 4.1 3.6 1.7 0.6
 貨物輸送量(万t/年) 175.6 101.9 116.8 139.4 136.1 73.4
営業係数 67 103 88 88 95 108
廃線跡
 美唄-常盤台10.6km
  東明駅のおしゃれな駅舎は、廃止から40年近くたっても美しく保存されている。駅舎の裏には、特徴あるSLとホーム跡も残されていた。
2011.7 美唄〜東明間A 2011.7 東明駅跡B
2011.7 東明駅跡のホームB 2011.7 東明駅跡に保存されているSLB
 盤の沢駅は見つけられなかったが、我路駅跡では草むらの中にホームを見つけた。美唄炭山駅跡は整地されてしまっている。
2011.7 我路駅跡C 2011.7 美唄炭山駅跡D
 終点の常盤台は、ホームの位置こそわからないものの、広大な敷地にホッパーや竪坑巻揚櫓があって炭鉱跡の雰囲気を盛り上げている。メモリアル公園という名ではあるが、整備しすぎず自然のままの状態なのがよい。
2011.7 常盤台駅跡E 2011.7 常盤台駅跡E
 
車両
 使用されたSLは延べ16両で、その中には珍しいEタンク機4110形が7両もあった。最後までDLは導入せず、DCは国鉄キハ05形を譲り受けたものであった。なお、SL4両とPC1両が保存されているが、2号機以外は公開されていない。
種類 番号 両数  特徴  登場 消滅 備考
SL 7010-11 2 Cテンダ 1914 1952 もと国鉄
3080 1 1C1タンク 1916 1932 もと国鉄
1 1 1Dテンダ 1919 1949
2-4(4110形) 2 Eタンク 1919,20,26 1972
4122,4137,
4142,4144
4 Eタンク 1949,51 1971 もと国鉄
9217,9233 2 1Dテンダ 1927 1952 もと国鉄
5(9600形) 1 1Dテンダ 1940 1969
6-7(9600形) 2 1Dテンダ 1943,58 1972 もと国鉄
DC キハ101-103 3 16240mm機械式 1965 1972 もと国鉄キハ05形
PC ハ11-20 10 2軸車 1914-27 1962 もと国鉄等
ナハフ1-3等 11 ボギー車 1935-57 1972 もと国鉄等
 4110形
 急勾配路線向けに開発された国産のEタンク機で、民間で導入したのは美唄鉄道のみである。戦後、国鉄から4両譲り受けて、最大7両体制となった。東明駅跡で2号機が保存されているほか、4号と4122号も非公開ながら保存されている。
2011.7 2号機、東明駅跡

三菱鉱業美唄鉄道