防府と石見益田を結ぶ陰陽連絡線として計画された路線。県境に近い柚野村まで免許を取得していたが、国鉄津和野線が陰陽連絡線として完成したため、今度は海側を中関村まで延伸する免許取得。結局どちらも実現しなかった。バス事業も行っていたため、比較的早い段階で鉄道は廃止されている。

  1919.7.5  防石鉄道三田尻(現防府)〜奈美(のちの上和字)間開業
  1920.9.23 上和字〜堀間開業
  1964.7.1  全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1963
 輸送人員(千人/日) 0.8 1.2 1.0 1.3 0.8
 輸送密度(千人/日) 0.5 0.8 0.6 0.8 0.5
 貨物輸送量(万t/年) 4.1 4.5 1.8 0.7 0.3
営業係数 92 90 101 103 156
廃線跡
 防府〜堀18.8km
 防府駅の近くては、廃線跡が遊歩道として整備されている。途中にある公園には1894年製のクラウス2号機が保存されていた。
2011.2 防府〜周防宮市間@ 2011.2 防石鉄道公園に保存されるSL@
 廃線跡のほとんどは県道になってしまった。しかし真尾駅は県道の脇にホームが残されている。上和字駅も公園として整備されていた。
2011.2 真尾駅跡A 2011.2 上和字駅跡B
 終点の堀駅は、しばらくバスターミナルになっていたようだが、今ではそれも無くなっている。
2011.2 伊賀地駅跡C 2011.2 堀駅跡D
  

防石鉄道