7世紀、ブルガール人がドナウ川を超えて南下し、ビザンチン帝国を破って第1次ブルガリア帝国を建国する。その後もビザンチン帝国と争いながら領土を拡大し、10世紀初頭にはシメオン1世のもとでバルカン半島の大部分にまで広がった。また、864年にはキリスト教化している。しかし、10世紀後半になるとビザンチン帝国やキエフ大公国に攻められて衰退。その後、現北マケドニアのオフリドに都を遷したサムイルによって一時的に再興するが、1018年に滅亡している。 681年 第1次ブルガリア帝国建国 864年 キリスト教化 917年 アケオロスの戦いでビザンチン帝国を破る、第1次ブルガリア帝国の黄金期 971年 ビザンチン帝国に攻められ、首都プレスラフ陥落 990年 オフリドが首都となる 1018年 第1次ブルガリア帝国滅亡 ビザンチン帝国の圧政に対し、1185年に蜂起し第2次ブルガリア帝国を建国。ビザンチン帝国やエピロス専制候国を破り、短期間でバルカン半島の大部分を再び掌握する。しかしモンゴル軍の襲来で混乱。その後一時的に再興するが、オスマン帝国の拡大により1396年に滅亡した。 1185年 第2次ブルガリア帝国建国 1230年 クロコトニッツァの戦い、第2次ブルガリア帝国の黄金期 1242年 モンゴル軍による侵攻 1393年 オスマン帝国の侵攻によりタルノヴォ陥落 1396年 第2次ブルガリア帝国滅亡 |
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北マケドニア | |
オフリド(世界遺産) | |
ローマ時代はリュクニドスと呼ばれ、エグナティア街道の街として栄えたところ。867年に第1次ブルガリア帝国が占領した。第1次ブルガリア帝国がビザンチン帝国に対し劣勢となると、サムイルは都をオフリドに遷して要塞を築き、反撃の拠点とする。ブルガリア総主教座も置かれ、スラブ人によるキリスト教文化の中心となった。1018年の第1次ブルガリア帝国滅亡後は総主教座が大主教座に格下げされたものの、引き続き多くの教会が建てられている。なお、街が面するオフリド湖はヨーロッパ最古の湖で、独自の生態系が残るため、オフリドは文化と自然の複合遺産として登録されている。 オフリド旧市街のいちばん高い所には、サムイルが築いたサムイル要塞がある。要塞の中までは訪問しなかったが、旧市街からよく見えていた。 |
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2023.8 サムイル要塞 | |
旧市街には、多くの教会がある。聖ソフィア教会は、11世紀に司教座教会として建てられたもの。オスマン帝国時代にはモスクに転用されたため、フレスコ画が塗りつぶされたが、一部が修復されている。 |
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2023.8 聖ソフィア教会 | 2023.8 聖ソフィア教会のフレスコ画 |
古代劇場の近くにある聖マリア教会は、オフリドの聖人クリメントの遺骸が移されていた時期は聖クリメント教会と呼ばれていたが、今は元の名に戻っている。ここの見所は13世紀のフレスコ画で、壁を埋め尽くしている。 |
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2023.8 聖マリア教会 | 2023.8 聖マリア教会のフレスコ画 |
初期キリスト教会の遺跡プラオシュニクのあるところで、ガイドブックでは聖パンテレイモン教会とされていたが、聖クリメントの遺骸が移されて聖クリメント教会という名になっている。聖クリメントは、オフリドを拠点として、9世紀から10世紀にかけてスラブ語で説教をおこなった最初の聖職者。訪問した日は、ちょうど聖クリメントの記念日になっていて、多くの信者で大混雑していた。 |
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2023.8 聖クリメント教会 | 2023.8 聖クリメント教会内部 |
最後に訪れたのは、オフリド湖のほとりに建つ聖ヨハネ・カネオ教会。13世紀に建てられたもので、何といってもオフリド湖をバックにした風景が素晴らしい。オフリドの中でもいちばん印象に残っている。 |
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2023.8 聖ヨハネ・カネオ教会 | |
☆世界遺産「オフリド地域の自然遺産と文化遺産」 1980年登録 |
中世ブルガリア帝国