キプロスは、長い間ローマ帝国・ビザンチン帝国の一部であったが、ビザンチン帝国の衰退と十字軍による混乱に乗じて、キプロス総督コムネヌスがキプロス王を名乗る。コムネヌスは、十字軍を率いていたイギリス王リチャードに敗れるが、リチャードがキプロスを統治するにはイギリス本国から遠すぎるため、一時エルサレム王になっていたリュージニャンにキプロスを与えた。こうして、偶発的に誕生したリュージニャン朝キプロス王国は、結果的に12世紀から15世紀まで300年続くことになっている。その後は、ヴェネチア共和国、オスマン帝国、イギリスと統治者が代わり、独立するのは1960年になってからである。

 1191年     コムネヌスがキプロス王を名乗る
 1192〜1489年 リュージニャン朝
 1489〜1571年 ヴェネチア共和国
 1571〜1878年 オスマン帝国
 1878〜1960年 イギリス植民地
 1960年      独立
 1974年〜    キプロス紛争、キプロスが南北に分断される

キプロス
 ファマグスタ
 ローマ時代に最も栄えた街はサラミスとパフォスであったが、ビザンチン帝国が衰退すると、アラブに近いサラミスはたびたび襲撃を受けるようになる。そして9世紀から10世紀頃、サラミスから3kmほど南に新たな城塞都市が築かれた。これがファマグスタで、リュージニャン朝時代、ヴェネチア時代ともに最も重要な港町として栄えている。そして1571年のオスマン帝国の包囲にも8ヵ月間耐えたがついに陥落、キプロスはイスラム勢力の手にわたることになった。
 まずは街の外側から城壁を見る。ヴェネチア時代に築かれた城壁はとにかく分厚い造りで、何の装飾もない。防衛のことだけが考えられていたということがわかる。
2017.5 城壁
 海側にある砦は、オセロ・タワーと呼ばれているが、もちろんシェイクスピアのオセロとは何の関係もない。誰が名付けたものかわからないが、観光的にはわかりやすい名前になっている。、
2017.5 オセロ・タワー 2017.5 オセロ・タワー内部
 街の中心にある聖ニコラス大聖堂は、オスマン帝国時代にモスクに改装されて、ララ・ムスタファ・パシャ・モスクとなった。イギリス植民地時代にどうなっていたのかわからないが、今はイスラム勢力である北キプロス領内なので、モスクとして使用されている。モスクに改装と言っても、尖塔を追加したくらいなので、リュージニャン朝時代の雰囲気を残している。
2017.5 聖ニコラス大聖堂(ララ・ムスタファ・パシャ・モスク)
 ファマグスタの街の中には、オスマン帝国の攻撃によって破壊された教会などの廃墟があちこちに残っている。なぜ400年以上もそのままにしているのか不思議であるが、見ていて飽きることなく、予定時間を大幅にオーバーしてしまった。
 
2017.5 リュージニャン朝の宮殿跡 2017.5 ネストリアン教会
2017.5 テンプル騎士団とホスピタル騎士団の
双子教会
2017.5 ギリシャ人の聖ジョルジョ教会
 ニコシア
 ニコシアは、海から離れた島のほぼ中央にある。ビザンチン帝国時代の後期、港町がアラブの襲撃を受けるようになったため、海から離れたニコシアがキプロスの中心都市となったのである。その後のヴェネチア時代やオスマン時代、そして現在のキプロス共和国に至るまで、キプロスの首都として君臨している。
 キプロス共和国は、1960年の独立時からギリシャ系住民とトルコ系住民が対立する。そして1974年にギリシャが後ろ盾となったクーデターが発生すると、トルコ系住民を守るためにトルコが北キプロスを占領して、国が二分されることになった。ニコシアの街も、ちょうど中央にグリーンラインと呼ばれる国境が通っている。ただし、2004年にグリーンラインの通過が自由化されたため、パスポートさえ持っていれば北ニコシアに簡単に行かれるようになった。北ニコシアにあるセミリエ・ジャミイは、1326年に完成したアヤ・ソフィア教会がモスクに改装されたもので、追加された2本の尖塔以外は教会のころとほとんど変わっていない。
2017.5 キャラバンサライ 2017.5 セミリエ・ジャミイ
 南ニコシアに戻って街の中を散歩している時、小さな教会の中に入れてもらえた。キプロスは正教会なので、祭壇はイコンで埋め尽くされている。ほとんどの教会は内部撮影禁止だったので、正教会の雰囲気を撮る貴重な機会になった。
2017.5 トリピオティス教会内部
 南ニコシアの東端に、ファマグスタ門がある。入口は簡素だが、城壁の厚みだけあるので、奥行きが驚くほど長い。しかしそれよりも、門の脇から続くヴェネチア時代の水道橋の方が気になった。
2017.5 ファマグスタ門 2017.5 水道橋
 トロードス地方の壁画聖堂群(世界遺産)
 キプロスの南西部には、標高1951mのオリンポス山を中心としたトロードス山地がある。その山の中に、ビザンチン時代の教会や修道院が点在しており、そのうちの9ヶ所が世界遺産に登録されている。海の近くはアラブの襲撃を受けるため、このような山の中に建てられたのである。
 ここの教会の特徴は、ビザンチン時代の壁画で彩られていることなのだが、残念ながらすべて撮影禁止なので壁画の写真が無い。どこもこじんまりとしていて、パナギア・トゥ・ポデトゥ教会は予め連絡を入れて鍵を開けてもらわないと中が見られなかった。なお、訪れた4ヶ所のうちキコス修道院だけは新しい建物で、世界遺産には含まれない。
2017.5 アルハンゲロス・ミハイル教会 2017.5 聖ニコラオス教会
2017.5 パナギア・トゥ・ポディトゥ教会 2017.5 キコス修道院
 ☆世界遺産「トロードス地方の壁画聖堂群」 1985年登録

キプロス王国