長岡線(西長岡-寺泊35.2km)
 前身は長岡鉄道で、与板町などの有志が中心となって建設された。信濃川を越えるのが困難であったため、起点は西長岡となっており、国鉄とは来迎寺線で結ばれた。戦後、田中角栄氏が社長に就任して電化され、沿線で天然ガスが発見されたことにより貨物輸送中心の路線になっている。1973年に大河津以北、その2年後には越後関原以北が廃止されて、この時に旅客営業も終了、西長岡-越後関原間は、その後も1993年まで貨物鉄道として残っていた。
  1915.10.7 長岡鉄道与板〜寺泊間開業(1067mm、蒸気)
  1916.1.5  西長岡〜与板間開業
  1951.12.1 西長岡〜寺泊間750V電化
  1960.10.1 合併により越後交通長岡線となる
  1961.10.3 災害により寺泊新道(のちの寺泊)〜寺泊(初代)間休止(66.6.1廃止)
  1973.4.16 大河津〜寺泊間廃止
  1975.4.1  越後関原〜大河津間廃止、西長岡〜越後関原間旅客営業廃止
  1993.3.31 全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970  1974 1975  1980  1985 1990
 輸送人員(千人/日) 1.2 2.5 5.4 5.8 6.5 4.9 1.2
 輸送密度(千人/日) 0.3 0.5 0.9 1.1 1.3 1.0  0.4
 貨物輸送量(万t/年) 5.9 6.3 9.3 13.3 37.4 47.2  27.1 25.6 23.2 9.7 8.7
 最大の見所は与板付近で、街の中にレールがそのまま残り復活を待っているかのようである。最初に向かった寺泊付近では廃線跡がまったく見つけられなかったので、与板の風景は感動的だった。与板以南は下調べ不足でまた廃線跡を見失ったが、上除でようやく草に埋もれたホームを見つけた。 
2006.11 与板-上与板間A 2006.11 上除駅跡D
 2006年の訪問から一年後に、今度は雰囲気のよかった与板市街地を歩いてみた。どころが、驚いたことにレールも架線柱もほとんど撤去されており、かなり期待はずれである。なぜ廃止後も長らくそのままだったものが突然撤去されることになったのかは謎だが、辛うじて槇原駅跡で埋もれるように残るレールを見つけた。 
2007.11 与板駅跡@ 2007.11 与板-上与板間A
2007.11 上与板-槇原間B 2007.11 槇原駅跡C
 
 栃尾線(悠久山-栃尾26.5km) 
 前身は栃尾鉄道で、栃尾の有志らによって建設された。最後まで762mmの狭軌であったが、長岡市の中心に乗り入れ、電化もされている。狭軌鉄道としては最も利用者が多く、段階廃止が始まるまでは1万人前後の利用があったが、越後交通がバスに重点をおいたことであっさり廃止されてしまった。
  1915.2.14 栃尾鉄道栃尾〜浦瀬間開業(762mm、蒸気)
  1915.6.5  浦瀬〜下長岡間延伸(16.9.9下長岡〜長岡間延伸)
  1938.5.1  悠久山〜長岡間開業
  1948.4.26  600V電化(56.9.15 700Vに昇圧)
  1956.11.20 栃尾電鉄と改称
  1960.10.1  合併により越後交通栃尾線となる
  1973.4.16  悠久山〜長岡、上見附〜栃尾間廃止
  1975.4.1   長岡〜上見附間廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970  1974
 輸送人員(千人/日) 3.5 5.9 11.0 13.0 16.9 12.9 4.1
 輸送密度(千人/日) 1.0 1.8 2.6 3.3 4.2 3.0  1.7
 貨物輸送量(万t/年) 2.9 1.7 2.6 1.3 1.1  
 ここの最大の見所はスイッチバックの上見附駅付近で、左下の写真では右側の長岡方と左側の栃尾方への分岐がはっきりわかる。また道路に転用された区間が多いが、椿沢付近では未舗装の部分もあり雰囲気がいい。栃尾駅も鉄道時代の駅舎がバスターミナルとして残っていたが、もう1つの終点、悠久山では痕跡が見つけられなかった。 
2008.4 栃尾駅跡E 2008.4 本明付近F
2008.4 上見附駅付近G 2008.4 上見附駅付近の分岐G
2008.4 椿沢付近H 2008.4 悠久山駅跡I

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