アルメニアの歴史の始まりは、紀元前860年頃成立したウラルトゥである。紀元前782年頃には、首都をエレブニ(現エレバン)に移して領土を拡大したが、アッシリア、メディアとの戦いで衰えて紀元前585年に滅亡した。エレブニは今も遺跡が残っていて、自由時間に何とか行かれないかと調べたが、時間がなく断念した。
 紀元前6世紀からはペルシャ支配下に入るが、紀元前410年にオロンテスがアルメニア地方長官となって半独立国のようになる。その後、パルティア、ローマ、ペルシャの侵攻を受け、独立と従属を繰り返しながらも、王朝が存続した。

 オロンテス朝:紀元前410年頃〜200年頃
 アルタシェス朝:紀元前188年頃〜紀元1年頃
 アルケサス朝:63年頃〜428年頃

 そして301年には、ティリダテスV世が世界で初めてキリスト教を国教とした。しかし387年には大半がペルシャ領となり、一部がローマ帝国の支援のもと存続したが、それも428年に滅亡した。

アルメニア・アララト盆地
 ガルニ神殿  
 1世紀にアルケサス朝トゥルダト1世によって建設された、太陽神に捧げられた神殿。ギリシャ・ローマの影響を受けたアルメニア唯一のヘレニズム建築である。キリスト教が国教となった後も宮殿として使われたが、1679年の地震で倒壊した。20世紀に復元されて現在の姿になっている。
 ここでは旅行会社のサプライズ企画があって、神殿内部でコーラスを楽しんだ。食事の際に民族音楽を聞くことはよくあるが、神殿の中というのは初めてで印象に残った。周辺には宮殿跡や教会跡、ローマ浴場などの遺跡も残されていた。
2011.8 ガルニ神殿 2011.8 ルイス(コーラスグループ)
2011.8 教会跡 2011.8 ローマ浴場
 ホル・ヴィラップ修道院  
 アルケサス朝トゥルダト3世は、キリスト教が信じられず、聖グリゴルを10年以上地下に幽閉した。しかし聖グリゴルのおこした奇蹟を前にして、王はキリスト教に改宗したという伝説がある。その聖グリゴルが幽閉された場所がホル・ヴィラップ修道院で、伝説の地下室も自由に見ることができる。真っ暗な地下に垂直の梯子で降りるのは怖さもあったが、降りてみると何もない空間だった。
2011.8 地下室のある修道院 2011.8 聖グリゴルが幽閉された地下室
 地下室以上に有名なのは、アララト山をバックにした教会の風景である。現在のアルメニア国内では最もアララト山に近い所で、バスも修道院の手前の景色のいい所に停まってくれたが、残念ながら大アララトは雲に完全に隠れていた。1時間ほどの観光の間に晴れてきたので、帰りにもう一度立ち寄ると、少し雲はあるもののイメージ通りの美しい景色が広がっていた。
2011.8 ホル・ヴィラップ修道院とアララト山
 修道院の全景を眺めるには、背後の丘の上がいい。丘への登り口を見つけたのが集合時間直前だったので、走って往復した。修道院の北側には、紀元前のアルタシェス朝時代の遺跡があるというが、事前に知らなかったのと急いでいたので、アララト山のある南側ばかりを見ていて全く気付かなかった。なお、修道院の中心にあるスルプ・アストヴァツァツィアン教会は17世紀の新しいものである。
2011.8 ホル・ヴィラップ修道院全景 2011.8 スルプ・アストヴァツァツィン教会
 フリプスィメ教会(世界遺産)  
 エレバンの西には、エチミアジン大聖堂、聖フリプスィメ教会、スヴァルトノツ大聖堂跡という3つの見所がある。これらを合わせて、「エチミアジン大聖堂と教会群およびスヴァルトノツの考古遺跡」という名で世界遺産に登録されている。ここはコーカサスの旅最終日の観光となった。
 初めに訪れたのは聖フリプスィメ教会で、618年創建。アルメニア王国はすでに滅亡し、ビザンチン・ペルシャ・サラセンなどの大国に翻弄されていた時代である。しかしアルメニアの文化・芸術は全盛期を迎え、後にヨーロッパ教会建築の特徴となるドームなどもアルメニアで生まれたと言われる。無骨さと繊細さが混ざり合った感じの外観は、アルメニアの教会でいちばん美しく感じた。
2011.8 聖フリプスィメ教会
 聖フリプスィメ(リプシマとも言う)は、キリスト教徒ではなかったローマのディオクレティアヌス皇帝とアルメニアのトゥルダト3世の求婚をともに断って殉教した聖女。教会の奥に棺が置かれていた。また、中に入ったところでちょうど礼拝が始まり、厳粛な雰囲気を味わうことができた。
2011.8 聖フリプスィメ教会内部 2011.8 聖フリプスィメの棺
 エチミアジン大聖堂(世界遺産) 
 聖フリプスィメ教会から僅か5分で到着したのがエチミアジン大聖堂。アルメニア教会のカトリコス(総主教座)がおかれている。ここも基本的な部分は7世紀に建てられ、後の時代にドームや鐘楼などが追加されて壮大な建物になっている。壁をよく見ると、増築された部分との境目がわかった。
 エチミアジン大聖堂の奥は宝物館になっている。開館は10:30だったようで、早すぎたので15分程待って見学した。一番の見所はキリストの脇腹を刺したといわれるロンギヌスの槍や、ノアの方舟の木片といわれるものである。
2011.8 エチミアジン大聖堂 2011.8 エチミアジン大聖堂
2011.8 エチミアジン大聖堂入口 2011.8 エチミアジン大聖堂内部
 スヴァルトノツ考古遺跡(世界遺産) 
 昼食後、スヴァルトノツ大聖堂跡に到着。やはり黄金の7世紀、641〜61年に建てられたもので、高さ45mという信じられない規模のものであった。しかし10世紀の地震で倒壊し、遺跡となっている。
 遺跡から往時の高さを感じることはできないが、古代神殿のような円形の基壇、ギリシャの影響を感じさせるアーチなど、見応えは十分である。復元されていないアーチは、地面に並べて展示してあって、これも面白かった。13:40観光終了。ここから空港までは10分で、15:50の飛行機に乗って旅は終わった。
2011.8 スヴァルトノツ大聖堂跡 2011.8 スヴァルトノツ大聖堂跡
2011.8 スヴァルトノツ大聖堂跡 2011.8 スヴァルトノツ大聖堂跡
 ☆世界遺産「エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡」 2000年登録
   ・エチミアツィンのスルブ・アストゥアツァンティン大聖堂とスルブ・ガヤネ教会
   ・フリプスィメ教会
   ・王宮跡を含むズヴァルトノツの考古遺跡

古代アルメニア王国