アッバース朝の弱体化に伴って現在のチュニジアに成立したシーア派のファーティマ朝は、969年にエジプトを攻略する。アッバース朝、後ウマイヤ朝とともにカリフを称し、オリエントの一部まで進出するなど、イスラムの最大勢力になっていった。12世紀にファーティマ朝が滅亡するとスンニ派のアイユーブ朝が成立、13世紀のマムルーク朝へと受け継がれていくが、1517年、オスマン帝国の侵攻によって滅んだ。

 909〜1171年 ファーティマ朝
 1169〜1250年 アイユーブ朝
 1250〜1517年 マムルーク朝

エジプト
 カイロ(世界遺産)  
  カイロは969年にファーティマ朝の首都として建設され、16世紀にオスマントルコに征服されるまで、アイユーブ朝、マムルーク朝の首都として栄えた。シタデル(城塞)はアイユーブ朝時代の1176年に建設され、改修されながら19世紀のムハンマド・アリ朝まで使用されている。まったく崩れておらず、現役のようにも見える。ここから下に、14世紀マムルーク朝時代に建設されたスルタン・ハサン・モスクが見えるが、残念ながら近くには行かなかった。
1995.12 シダデル 1995.12 スルタン・ハサン・モスク
 19世紀はじめ、ムハンマド・アリはオスマン帝国から事実上の独立を勝ち取り、王朝を創設した。ムハンマド・アリ・モスクはその息子サイードが1824年から建設をはじめたもので、イスタンブールのモスクをイメージしたと言われる。内部は円形のランプが不思議な雰囲気をつくっていた。
 
1995.12 ムハンマド・アリ・モスク 1995.12 ムハンマド・アリ・モスク内部 
 世界遺産「カイロ歴史地区」  1979年登録

ファーティマ朝・アイユーブ朝・マムルーク朝