オスマン帝国の将校だったムハンマド・アリーは、ナポレオンと戦うためエジプトに入り、やがてエジプト総督としてオスマン帝国から半独立を果たす。そして、シリアを巡るエジプト・トルコ戦争などを経て、世襲のムハンマド・アリー朝が成立していった。しかしスエズ運河の開通によってエジプトの重要度が増す中、1882年にイギリスがエジプトを軍事占領。ムハンマド・アリー朝は、実質的なエジプトの保護国として存続した。1922年の独立後もイギリスの影響は強く残るが、1936年の条約などで縮小に成功する。しかし第1次中東戦争の敗戦などで権威が失墜し、エジプト革命がおこってムハンマド・アリー朝は滅亡した。 1805 ムハンマド・アリーがエジプト総督となる 1831 エジプト・トルコ戦争始まる 1840 エジプト総督の世襲が認められる 1869 スエズ運河開通 1882 イギリスがエジプトを軍事占領、実質的な保護国となる 1914 イギリスがエジプトの保護国化を宣言 1922 エジプト王国として独立 1936 イギリス・エジプト同盟条約 1948 第1次中東戦争 1952 エジプト革命 1953 ムハンマド・アリー朝滅亡、エジプト共和国となる |
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ムハンマド・アリ・モスクは、王朝を創設したムハンマド・アリーの息子サイードが1824年から建設をはじめたもので、イスタンブールのモスクをイメージしたと言われる。内部は円形のランプが不思議な雰囲気をつくっていた。 |
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1995.12 ムハンマド・アリ・モスク | 1995.12 ムハンマド・アリ・モスク内部 |
アブディーン宮殿は、第5代君主イスマイールが建設した。博物館として一般公開されているが、この時は特別な許可を取って、通常公開されていない豪華な部屋を見学した。 |
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2025.4 アブディーン宮殿 | 2025.4 アブディーン宮殿内部 |
ムハンマド・アリー朝