651年にササーン朝ペルシャが滅亡して以降、イランはイスラム勢力下に入る。9世紀頃からはイスラム帝国が衰え、11世紀にはイランにテュルク系のセルジュク朝が成立するが、12世紀には瓦解、13世紀からはモンゴル、ティムールなどによる支配が長く続くことになる。そして1501年、850年ぶりのイラン独自の統一王朝として登場したのがサファビー朝である。

 651年   ササーン朝滅亡、ウマイヤ朝イスラム帝国勢力下に入る
 750年   ウマイヤ朝滅亡、アッバース朝勢力下となる
 1038年  イラン北西部にテュルク朝のセルジュク朝成立
 1194年頃 中央アジアのホラズム・シャー朝勢力下に入る
 1231年頃 モンゴル帝国勢力下に入る(1256年 イル・ハン国となる)
 1381年   ティムール帝国勢力下に入る
 1501年   イスマイール1世タブリーズ占領、サファビー朝成立 

 サファビー朝は、厳密にはチュルク系王朝なのでセルジュク朝と似ているとも言える。しかし、世界で初めてシーア派を国教とした王朝であり、現在のイラン国家の起源といってもいいだろう。サファビー朝の初期はオスマン帝国や中央アジアのシャイバーン朝に攻められて苦戦したが、1587年に王位についたアッバース1世により勢力を拡大して西アジアを統一した。しかし1629年のアッバース1世死後は衰退し、1722年に首都エスファハーン陥落。1736年にトルクメン系のアフシャール朝に移っていった。

イラン・エスファハーン州
 エスファハーン(世界遺産)  
 エスファハーンは古くからの歴史ある街であるが、1597年にサファービー朝の都となったことで大繁栄をとげる。アッバース1世はイマーム広場を中心とした都市計画を推進。「世界の半分」とまで言われたという。ここは2日間あるのと前日夜遅くまで移動があったので、ゆっくり8時半に観光をスタートした。
 最初は金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ)。8世紀に創建され、その後も増改築が繰り返されたため、さまざまな建築様式が混ざり合っている。とくに入り口の左側にある礼拝堂は14世紀のティムール以前のもので、無色の柱が並ぶ様子は古代遺跡のようであった。礼拝堂を通り抜けると南西のドームで、11世紀のセルジュク朝時代のもの。当時のまま残っているかは調べてもわからなかったが、崩れそうな殺風景な内部は歴史が感じられた。
2012.4 金曜モスク・礼拝堂 2012.4 金曜モスク・南西のエイヴァーン
 南西のドームから外に出ると、4つのエイヴァーンに囲まれた広い広場がある。エイヴァーンとは行き止まりの門のような形をした建物で、青いタイルの装飾や鍾乳石飾りといわれる天井の複雑な形が美しく、ずっと見とれてしまう。南西のエイヴァーンだけには2本のメナーレがあり、北西のエイヴァーンには見張り台のようなものがあるなど、特徴も少しずつ違っていた。
2012.4 金曜モスク・北西のエイヴァーンと北東のエイヴァーン 2012.4 金曜モスク・南西のエイヴァーンとドーム
 北西のエイヴァーンの右手にはミフラーブとメンバルのある小さな部屋がある。ミフラーブはメッカの方向を示す壁のくぼみ、メンバルは説教壇で、どちらも細かい装飾が素晴らしかった。ガイドブックでは、扉に鍵がかかっていることが多いと書いてあったので、自由に見学できてラッキーである。
2012.4 金曜モスク・ミフラーブとメンバル 2012.4 金曜モスク・鍾乳石飾り
 金曜モスクとイマーム広場は2kmの長いバザールで結ばれているが、我々は車で移動して10:40到着。「世界の半分」とはどんな所かと期待が膨らむが、最初に目についたのはアーリー・ガーブー宮殿やイマームモスクを隠すような工事の足場である。エスファハン最大の見所といえる2ヶ所が工事中では、がっかりである。
 気を取り直して、まずアーリー・ガーブー宮殿に入る。アッバース1世の宮殿で、イラン初の高層建築と言われる。その最上階にある音楽堂は、天井一面に楽器をモチーフにした装飾があって、見ているだけで楽しくなる場所だった。
2012.4 アーリー・ガープー宮殿 2012.4 アーリー・ガープー宮殿、音楽堂
 アーリー・ガーブー宮殿のバルコニーからはイマーム広場全体が見渡せるのだが、工事中で北側はよく見えない。よく見えるイマーム・モスクは工事の足場だらけで、どうも面白くない。広場の中を一周する観光用の馬車はよく見えたが、速すぎて景色が楽しめないのではないかと思われた。
 イマーム・モスクは26年かけて1638年に完成した。広場に面したエイヴァーンをくぐると、45度曲がって中庭の向こうに中央礼拝堂がある面白い構造である。エイヴァーンと中庭は工事現場のようだったが、中央礼拝堂は美しい姿を楽しむことができた。とくに内部の壁や天井を覆う青と黄の装飾は素晴らしく、圧倒された。
2012.4 イマーム広場とイマーム・モスク 2012.4 イマーム・モスク・中央礼拝堂
2012.4 イマーム・モスク・中央礼拝堂内部 2012.4 イマーム・モスク・中央礼拝堂内部
 イマーム広場にはモスクがもう1つある。シェイフ・ロトフォラー・モスクで、王族だけが使用する小規模なものである。晴れると天井が孔雀に見えるというので、どういうことかと思ったら、何と射し込む光が孔雀の頭になっている。広げた羽にあたるドームの装飾は息を飲むほどで、しばらく動けなかった。エイヴァーンや廊下も美しく、エスファハンでいちばん印象に残った。
2012.4 シェイフ・ロトフォラー・モスク
エイヴァーン
2012.4 シェイフ・ロトフォラー・モスク
礼拝堂の天井
 エスファハン1日目の観光予定は、金曜モスクとイマーム広場だけだったので、午後の予定が無くなってしまった。ホテルにずっといても仕方ないので、ガイドとともにスィー・オセ橋まで散歩することになった。スィー・オセ橋は1602年の完成で、アーチが並ぶ堂々とした姿である。入り口にはチャイハネもあって、ゆっくりと景色を楽しんだ。 
2012.4 スィー・オセ橋
 15:30にホテルに戻ったが、まだ2時間以上の自由時間がある。そこで、川沿いをさらに散歩することにした。ザーヤンデ川には、2kmほどの間にアッバース2世時代のチュービー橋とハージュ橋がある。とくにハージュ橋は2階建ての立派なもので、あっという間に時間が過ぎた。もっと遠くにはセルジュク朝時代のシャフレスタン橋もあるが、さすがにそこまでは行かれなかった。
2012.4 チュービー橋 2012.4 ハージュ橋
 自由時間が終わって、夕食前にバザールと夜景見学をする。バザールは絨緞屋に連れ込まれて買うまで帰さないという状況になり、かなり険悪な雰囲気だった。観光客向けの店が多く、お土産を買わない我々にとってはあまり面白くない。
 20:00頃にようやく暗くなって、イマーム広場はいい雰囲気になってきた。観光客は思ったより少なかったが、工事の足場が見えないのもいい所である。夕食後には、三たび川まで散歩してスィー・オセ橋の夜景を楽しんだ。
2012.4 イマーム広場の夜景 2012.4 スィー・オセ橋の夜景
 エスファハンの2日目は、行く所が少ないので9:30の出発である。始めはアルメニア人が住むジョルファー地区のヴァーンク教会。エスファハンにアルメニア人が来たのもアッバース1世の時代だが、アルメニア人を救うためなのか、無理やりだったのかはよくわからない。しかし敬虔なイスラム国家の中でキリスト教が今日まで守られてきたというのは意外な感じがする。
 ヴァーンク教会は1655〜64年の建築で、外見は平凡だが、中に入ると壁画や装飾の美しさに驚く。金色をはじめ色鮮やかに描かれた壁画、そして全体の荘厳な雰囲気は、他の国の教会では感じたことのないものだった。
 
2012.4 ヴァーンク教会  2012.4 ヴァーンク教会内部
 街の中心にもどって11:20チェヘル・ソトゥーン宮殿に到着。1647年にアッバース2世が建てたもので、20本の柱が池に映ることから40柱宮殿と呼ばれているが、何と池が工事中。エスファハンは肝心な所で期待が裏切られる。内部は大きな壁画が描かれているが、ヴァーンク教会の後ではあまり感動しなかった。
2012.4 チェヘル・ソトゥーン庭園博物館 2012.4 チェヘル・ソトゥーン庭園博物館内部
  昼食と休憩をはさんで、予定された最後になるハシュト・ベヘシュト宮殿に行く。1669年にシャー・ソレイマンが建てたもので、小さいが雰囲気は悪くない。そうはいっても見るべきものは少なく、30分で見終わった。
2012.4 ハシュト・ベヘシュト宮殿 2012.4 ハシュト・ベヘシュト宮殿内部
 この日は夜19:15の便でアフワズへ行くのだが、まだ15時半である。予定にはなかったが、ガイドがアリー・ゴリー・アーガーというハンマーム博物館に連れて行ってくれた。ハンマームとはイスラムの浴場で、外見は見たことがあるが中に入るのは初めてである。サファビー朝時代に建てられたものだが、最近まで使われていただけあって古さを感じさせない美しい内部だった。
2012.4 ハンマーム博物館 2012.4 ハンマーム博物館の壁画
  ☆世界遺産「イスファハンのマスジェデ・ジャーメ」 2012年登録
  ☆世界遺産「イスファハンのイマーム広場」 1979年登録

サファビー朝