フランスの歴史は、481年のメロヴィング朝フランク王国建国に始まる。当時はドイツ・イタリアを含む領土だったが、カロリング朝に変わってからの843年に三分割された。10世紀末からはカペー朝のフランス王国と名を変え、1789年のフランス革命まで一族の中でヴァロア朝、ブルボン朝と王権が受け継がれる強力な王国が長く続いた。革命で共和制となるが、すぐナポレオンによる帝政へ移行、ナポレオン戦争に突入する。敗戦後は王政復古の時代となり、共和制を経て再びナポレオン3世による帝政となるが、普仏戦争により終わりを告げた。

  481年 クローヴィスがフランク諸部族統一、メロヴィング朝成立
  751年 カロリング朝成立
  800年 カール大帝戴冠
  843年 ヴェルダン条約、フランク王国を3つに分割
  987年 カペー朝成立
 1309〜77年 ローマ教皇のアヴィニョン捕囚
 1328年 ヴァロア朝成立
 1337〜1453年 イギリスとの百年戦争
 1589年 ブルボン朝成立
 1792年 フランス革命、共和制となる
 1804〜14年 ナポレオンによる第一帝政
 1852〜70年 ナポレオン3世による第二帝政
 1870〜71年 普仏戦争、再び共和制となる

 
パリ
 パリ(世界遺産)
 パリがフランスの中心となるのは、987年にパリ伯ユーグ・カペーがフランス王になってからである。16世紀頃からは大規模建築が次々と造られ、現在の姿になっていった。今では都市圏全体で人口1000万人を超える大都会だが、街の中は歴史的な建物が並んでいる。
 ロンドンから午前中の飛行機で到着。旅の最後にもう一度訪れるので、この時は夕方の散歩程度の観光。ミーハーなようだがエッフェル塔からスタートした。ここはフランス革命100周年とパリ万国博覧会にあわせて1889年に建てられたもので、高さ324mは東京タワーより少しだけ低い。なお、エッフェル塔を見る場所として選んだのはシャイヨ宮で、エッフェル塔を見るために整備されたような所である。
 すぐ隣は凱旋門。1806年にナポレオンによって着工されたが、完成したのはナポレオン死後の1836年である。ここからシャンゼリゼ通りが一直線に伸びていて、歩いていくとコンコルド広場。エジプトのルクソール神殿から運ばれてきたオベリスクがシンボルになっている。
1992.8 シャイヨ宮より エッフェル塔 1992.8 凱旋門
1992.8 凱旋門より シャンゼリゼ通り 1992.8 コンコルド広場
 ヨーロッパを一周して再びパリ到着。今度はパリの原点ともいえるシテ島からスタートする。ノートルダム大聖堂は1163年に着工され、1345年完成。ナポレオンの戴冠式もここで行われた。ステンドグラスが素晴らしく、印象に残っている。塔に登ると、パリのおもな観光名所がすべて見えるので位置関係を把握するのにちょうどよかった。 
1992.9 ノートルダム大聖堂 1992.9 ノートルダム大聖堂 内部
1992.9 ノートルダム大聖堂より
パンテオン
1992.9 ノートルダム大聖堂より
エッフェル塔とアンヴァリッド
 続いてサント・シャペルへ。1248年に完成したもので、ここもステンドグラスが美しい。ここからセーヌ川を南にわたってパンテオンに向かった。1792年に教会として建てられ。後に偉人の墓所となったところで、ここも上からの景色がいい所だった。
1992.9 サントシャペル 1992.9 パンテオンより
 リュクサンブール宮殿は、17世紀にイタリアからフランス王家に嫁いだマリー・ド・メディシのために、トスカーナ風に建てられたもの。その後監獄や官邸など役割は二転三転して、今では議事堂として使用されている。中には入れないので、庭園の散策を楽しんだ。
 セーヌ川の方向に歩くと、サンジェルマン・デ・プレ教会が見えてくる。このあたりは、5分歩くと次の見所が現れる感じだ。ここはパリ最古の教会の1つだが、革命でほとんど焼失して19世紀に改修されている。小さい教会で観光客も少なかった。
1992.8 リュクサンブール宮殿 1992.8 サンジェルマン・デ・プレ教会
 アンヴァリッドは、傷病兵を看護する施設として1671年に建てられたものだが、ここが有名なのはナポレオンの棺があるからであろう。棺は明るいドームの中央にあって、お墓という雰囲気ではなかった。ここまでで市内観光を一度終え、午後はヴェルサイユに向かった。
 ヴェルサイユから戻ると19時を過ぎていたが、まだ明るいので自由の女神を見に行く。アメリカに自由の女神像を贈った返礼として1889年に建てられたもので、思ったより小さいがいい場所に建っていた。
1992.9 アンヴァリッド 1992.9 自由の女神とエッフェル塔
 1ヶ月にわたる旅の最終日、飛行機は夕方なので、午前中サクレ・クール寺院へ行った。1919年に完成した新しいものだが、モンマルトルの丘の上にあるので景色がいい。この日は日曜日だったので、ちょうど礼拝の最中。オルガンと歌声をじっくり聴くことができて、旅の終わりにふさわしい感じであった。
1992.9 サクレ・クール寺院
 2度目のパリは、午前中に美術館を見て午後に郊外へ出るというパターンを2日繰り返した。美術館はもちろんオルセーとルーブルで、どちらかというとオルセーの方が好みだった。
1994.2 ルーブル美術館
 ☆世界遺産「パリのセーヌ河岸」 1991年登録
   シテ島: ノートルダム大聖堂、パレ・ド・ジャスティス、サントシャペル、コンシェルジュリー
   サンルイ島: ランベール邸、ローザン邸、サン=ルイ=アン=イル教会
   右岸 :マレ地区、パリ市庁舎、ルーブル宮殿、チュイルリー庭園、コンコルド広場、
        マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ通り、グラン・パレ、プチ・パレ、シャイヨ宮
   左岸 :オルセー美術館、ブルボン宮殿、アンヴァリッド、シャン=ド=マルス庭園、エッフェル塔
イル・ド・フランス
 ヴェルサイユ宮殿(世界遺産) 
 太陽王ルイ14世が、世界で最も豪華な宮殿を目指して建設したもの。1662年着工し、1710年に完成した。午前中はパリ市内を歩いていたので15時過ぎに到着。
 外観は思ったより地味だが、鏡の間を始め室内は本当に豪華である。そして何より驚くのは庭園の広さで、どこまで続いているのかわからないほどだった。
1992.9 1992.9 鏡の間
1992.9 庭園 1992.9 王妃の家
 ☆世界遺産「ヴェルサイユの宮殿と庭園」 1979年登録
 シャンティイ城
 16世紀に建てられ、アンリ4世もよく滞在した。メインの建物は革命期に破壊され、19世紀に再建されている。午前中にオルセー美術館を見た後で向かった。
 駅から思ったより遠く歩いて30分ほどかかったが、池のほとりの建物は絵になる所だった。
1997.12
 フォンテンブロー城(世界遺産)
 12世紀から王家の狩猟場となっていたフォンテンブローの森に、16世紀フランソワ1世によって建てられた城。シャンティイの翌日、今度は午前中にルーブル美術館を見た後である。ここは駅から離れているのでバスに乗って向かう。この日は曇っていたためか、シャンティイに比べてあまり印象に残っていない。
1994.3 1994.3
 ☆世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」 1981年登録
 サンジェルマン・アン・レー
 12〜17世紀にかけてフランス王の居城の1つが置かれた所で、現在の城館は16世紀頃フランソワT世によって建てられた建物を復元している。4度目のパリは友人に会いに来たもので、メンバーはみなパリに来たことがあったので、郊外のサンジェルマン・アン・レーに遊びに行った。電車で20分程と気軽に行かれるところがいい。
1997.12
ロワール
 ロワール渓谷(世界遺産)
 ロワール渓谷には、300あまりもの古城が点在する。そのほとんどはルネサンス期の王族や貴族が建てたもので、200kmにわたって世界遺産に登録されている。公共交通で行くのは難しいので、パリ発の日帰りツアーで3つの城を訪れた。
 最初はシャンボール城。フランソワ王が狩猟のための城として1519年に着工したもので、ロワール最大の城である。塔が多く、建物のシルエットが美しかった。
1992.9 シャンボール城 1992.9 シャンボール城
 続いてシュヴェルニー城。1630年に完成したもので、小さめの館で、建物よりも部屋やコレクションが見どころである。ここは、今でも持ち主の子孫が住んでいるらしい。
1992.9 シュヴェルニー城
 昼食をとったあと、最後のシュノンソー城へ。1521年に完成し、アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ、同じく妻カトリーヌ・ド・メディシスをはじめ、代々女性が城主となっている。川に映る姿が素晴らしく、とても絵になる城だった。
1992.9 シュノンソー城 1992.9 シュノンソー城
 ☆世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」
   シャンボール城 :1981年登録
   ブロワ城、シュノンソー城、アンボワーズ城、アゼ・ル・リドー城、ヴィランドリー城、
   ショーモン城、シュヴェルニー城、シノン城、ユッセ城、ソーミュール城など :2000年登録
ブルターニュ
 モンサンミシェル修道院(世界遺産) 
 708年にオベール司祭が大天使ミカエルの御告げにしたがって礼拝堂を建てたのが始まりといわれ、増改築を繰り返して13世紀頃には現在のような姿になった。そして14世紀の百年戦争の際に要塞化されている。本来は海に浮かぶ島で、19世紀に堤防がつくられて陸続きになったが、潮の流れが変わったことによる砂の堆積が問題となって2009年から島に戻すプロジェクトが進められている。
 レンヌから列車でポントルソンへ行き、バスに乗り換えると、登り口の目の前に到着。中は狭い路地のような小道である。修道院の中も迷路のようで、同じところを何回もまわってしまった。外に出るとようやく晴れてきたので、全景の写真を撮るために修道院から少し離れる。長い砂洲の先に建つ城のような修道院は不思議な風景であった。 
1997.12 1997.12
 ☆世界遺産「モンサンミシェルとその湾」 1979年登録
 サンマロ  レンヌ
 サンマロはフランス有数の港町で、17世紀頃は海賊の拠点でもあった。旧市街を取り囲む城壁は、12世紀に建設が始まり18世紀まで拡張が続けられたものである。城壁の上を歩くことができたが、すぐに一周してしまう大きさの街である。   レンヌは、ブルターニュ地方の中心都市として、ローマ時代から重要な地位にあった。中世はブルトン人によるブルトン人王国が成立し、のちにブルターニュ公国となるが、16世紀にフランスに併合されている。モンサンミシェルからの帰り、TGVが満席だったので1本待つ間に少しだけ散歩をした。
1997.12 1997.12
アルザス・ロレーヌ
 ストラスブール (世界遺産) 
  ストラスブールは、数奇の運命をたどった街である。古くはドイツの前身である神聖ローマ帝国のもとで発展し、17世紀の30年戦争でフランス領となる。さらに19世紀の普仏戦争でドイツ(プロイセン)領、第一次世界大戦後はフランス領とめまぐるしく国境が変わり、第二次世界大戦でも一時ドイツが占領するがフランスが奪還した。戦後は欧州評議会がおかれるなど、欧州の平和と統一のシンボルを目指している。
 ストラスブールの象徴は、1176年から250年かけて建設されたノートルダム大聖堂である。尖塔の高さは142mあり、19世紀後半まで世界一の高さであったという。この時はLRTの関係の仕事だったので観光の時間はなかったが、バスの車窓から辛うじて見えた。
1997.10 ノートルダム大聖堂 1997.10 プティット・フランス?
 ☆世界遺産「ストラスブールのグラン・ディル」 1988年登録
    ノートルダム大聖堂、プティット・フランス等
ローヌ・アルプ
 リヨン(世界遺産)
 リヨンの前身はローマ植民市ルグドゥヌムである。カロリング朝時代には司教座がおかれ、14世紀頃からは絹織物の交易の中心地として大きく発展する。産業革命後には絹織物・繊維工業都市となり、今ではフランス第2の大都市となった。
 リヨンは空港にいくための経由地だったが、2時間ほど時間があったのでフルヴィエールの丘へ向かう。地下鉄とケーブルカーを乗り継ぐと、目の前に白い聖堂があった。ここは19世紀に建てられた新しいものだが、リヨン市街の眺めがいい。ちなみに旧市街と呼ばれているのは手前に見えているソーヌ川の手前だけで、川の向こうの赤い屋根のあたりが新市街、その奥は新市街より新しい近代都市である。
2012.9 ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂 2012.9 フルヴィエールの丘より リヨン市街
 丘から歩いて下り、サン・ジャン大聖堂へ。12世紀に建てられたもので、アンリ4世が結婚式をあげたと言われる所である。内部はステンドグラス越しの光で虹色に輝いていた。
2012.9 サン・ジャン大聖堂
 ☆世界遺産「リヨン歴史地区」 1998年登録
    サン・ジャン大聖堂、フルヴィエールの丘、クロワ・ルース等
ピレネー・ラングドック
 カルカソンヌ(世界遺産)
 カルカソンヌには、ローマ時代すでに城塞都市が築かれていた。11〜12世紀に、トランカヴェル家のもとで城壁が拡張されるが、異端とされるカタリ派が広まったため13世紀はアルビジョア十字軍の攻撃を受け、フランス王領となった。そして、スペインとの戦いを想定して、さらに城壁が拡張されている。ピレネー条約によりスペインとの国境が画定した1659年以降は、街の重要性が失われて荒廃したが、19世紀に大規模な修復が行われて現在の姿に蘇っている。
 バルセロナから国境を越えてお昼頃に到着。昼食をとったあとでシテへ向かう。オード川のほとりから、城塞都市の全景が見えて素晴らしい。中世の面影そのままの風景を見ると、フランスで「カルカソンヌを見て死ね」と言われるのも納得できる。
1994.2 オード川とコンタル城
1994.2 コンタル城 1994.2 旧市街
 ☆世界遺産「歴史的城塞都市カルカソンヌ」 1997年登録
プロヴァンス-アルプ-コートダジュール
 アヴィニョン(世界遺産)
 アビニョンはローマ時代からこの地方の主要都市の1つであった。しかしアビニョンが最も注目を浴びたのは中世で、1309年に法王クレメンス5世がフランス国王に屈する形でこの街に移住し、法王庁宮殿を築いた。これがアビニョン捕囚といわれる事件で、その後も1377までの間に7人の法王がここで即位することになった。もう1つ有名なのは12世紀に完成したサン・ベネゼ橋で、「アビニョンの橋で踊ろよ踊ろ」と同様に歌われたあの橋である。
 アビニョンでは2泊したが、ポン・デュ・ガールで遊びすぎたり、列車が1時間以上遅れたりという予定外の出来事が重なって、旧市街観光を始めたのは日没後になってしまった。当然ながら法王庁宮殿の中には入れないので、荘厳な外観を見ただけである。
2012.9 法王庁宮殿 2012.9 サン・ベネゼ橋
 ☆世界遺産「アビニョン歴史地区」 1995年登録
    法王庁宮殿、大司教座、サン・ベネゼ橋等
 マルセイユ
 マルセイユの歴史は、紀元前600年頃にギリシャ系のフォカイア人が築いた街マッシリアまで遡る。フランスにおける地中海最大の港としてローマ時代以降も重要な地位を占め、現在でも変わっていない。観光名所は少ないが、港町の風情を楽しもうと、夜行列車で到着した朝7時頃に少しだけ散歩をした。丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルド教会からは港やイフ島の景色がよく、旧港付近の雰囲気もなかなかだった。
1994.2 ノートルダム・ド・ラ・ギャルド教会 1994.2 旧港より
 ノートルダム・ド・ラ・ギャルド教会
 ニース(世界遺産)
 ニースは、19世紀からイギリス人などの保養地として豪華な別荘が建てられた。現在でも、プロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の散歩道)という地名があるほどである。リゾート地にはあまり興味がないが、1時間半ほどの乗換時間を利用して海辺の展望台まで散歩をした。
1994.2
 ☆世界遺産「リヴィエラの行楽都市ニース」 2021年登録
モナコ公国
 モナコ
 モナコは、世界で2番目に小さい国である。1297年、フォランソワ・グリマルティがジェノヴァ共和国の要塞を占拠したことに始まり、フランス革命時にはフランスに併合されるが、ナポレオン戦争後に主権を回復。1918年以降はフランスの保護国となって観光国家に変貌していった。今ではカジノとF1レースが有名な所である。
 この日は朝からマルセイユ、アルル、ニースと駆け足でまわり、17時40分にモナコ到着。1時間ほど夕方の街を散策した。古い建物は少ないが、丘の上からの景色は気持ちいい。
1994.2 大公宮殿より 1994.2 大公宮殿

フランス王国