富士山 -信仰の対象と芸術の源泉
1990年代から、富士山を世界遺産に、という動きはあった。しかし、富士山には固有の生態系がないこと等から、山であるのに自然遺産として登録することが難しく、文化遺産としての登録を目指すことになる。これは、古くからの富士信仰と、富嶽36景に代表される芸術への影響に焦点をあてたものであった。2005年に始まった構成資産の選定は、2012年にようやく25件に絞り込まれる。ICOMOSからは、三保松原を除外するようにという勧告があったが、最終的にはこれを含む25件すべてが、日本で17番目の世界遺産として登録されている。 |
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1.富士山域 | |
構成資産25件といっても、そのうちの1つである「富士山域」に以下がすべて含まれる。 ・山頂の信仰遺跡群 ・大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道) ・須山口登山道(現御殿場口登山道) ・須走口登山道 ・吉田口登山道 ・北口本宮富士浅間神社 ・西湖、精進湖、本栖湖 紅葉台は北側、富士宮は南側からの眺め。どちらから見ても違いが判らないほどの円錐形が特徴である。 |
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1999.11 紅葉台より | 2004.3 富士宮付近より |
富士山に登ったのは1996年。吉田口から夜中に登り、山頂でご来光を見て須走口を降りた。 | |
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1996.8 山頂の神社 | 1996.8 富士山頂から見る御来光 |
富士五湖のうち西側の3つだけが、「富士山域」に含まれている。この3湖は、水面の高さが全く同じで、地下でつながっていると言われている。しかし西湖はそうとは思えないほど離れていてイメージがわかなかった。 | |
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1999.11 西湖(紅葉台より) | |
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1996.9 本栖湖 | 1996.9 精進湖(パノラマ台より) |
富士吉田市にある北口本宮富士浅間神社は、他の浅間神社とは異なり、「富士山域」の一部という位置づけになっている。吉田口登山道の起点なので、登山道と一体とみなされているのだろうか。忍野八海の後に訪れたが、渋滞でバスが遅れて薄暗い時間になってしまった。 |
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2023.11 北口本宮冨士浅間神社 随神門 | 2023.11 北口本宮冨士浅間神社 拝殿 |
2.富士山本宮浅間大社 3.山宮浅間神社 4.村山浅間神社 5.須山浅間神社 6.冨士浅間神社(須走浅間神社) 7.河口浅間神社 8.冨士御室浅間神社 |
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富士山を取り囲むように分布する浅間神社7ヶ所も世界遺産。まだ1つも訪れたことがない。 | |
9.御師住宅(旧外川家住宅) 10.御師住宅(小佐野家住宅) |
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御師とは、登山者に対して宿や食事の世話をする人のこと。富士吉田市にある御師の住宅2件が世界遺産に登録されている。 | |
11.山中湖 12.河口湖 |
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山中湖へはテニスが目的だったが、たまたまカメラを持っていた。富士山が見えてラッキーだとおもったが、写真を見るとかすかに写っているだけだった。 | |
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1994.9 山中湖と富士山 | |
13-20.忍野八海 | |
富士山の雪解け水が、地下の溶岩を通って湧き出た泉。8つある池の総称で、かつては八海めぐりと呼ばれる巡礼の地だった。今は富士山を代表する観光地の1つとなっている。 1つ1つの池は思ったより小さかったが、水が驚くほど澄んでいる。ただ、紅葉の時期ということもあって観光客で溢れており、ゆっくり景色を楽しめる状況ではなかった。 |
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2023.11 菖蒲池 | 2023.11 濁池 |
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2023.11 底抜池 | 2023.11 シンボルとなっている水車 |
21.船津胎内樹型 22.吉田胎内樹型 |
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胎内樹型は溶岩樹型とも呼ばれ、溶岩が樹木を巻き込みながら流れ下った後、樹木の部分が燃えて空洞になった地形である。吉田胎内樹型は公開されていないが、船津胎内樹型は観光地になっている。 | |
23.人穴富士講遺跡 | |
富士講とは、富士山を信仰して富士詣などを行う宗教団体のようなもの。富士講の開祖、角行が人穴という場所で修業を行ったとされるため、人穴は富士講信者の聖地となり、多くの碑がたてられている。 | |
24.白糸ノ滝 | |
静岡県側にある、富士五湖の水が地下から流れ出たといわれる滝。芝川を通って富士川に流れ込む。白糸というと繊細なイメージだが、水量があってなかなか迫力ある滝だった。 | |
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1996.9 | 1996.9 |
25.三保松原 | |
三保松原は、古くから富士山を展望する名所として知られ、歌川広重の浮世絵にも描かれている。富士山から遠く離れているにもかかわらず、構成遺産になったのはそのためである。日中は雲がかかっていたので心配したが、夕方に訪れると、夕陽に赤く染まった富士山に出逢うことができた。 |
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2023.1 三保松原より | 2023.1 三保松原より |