ドイツ南部のバイエルン地方は、神聖ローマ帝国のもとで12世紀からヴィッテルスバッハ家が治めており、ナポレオン戦争後にはバイエルン王国に昇格した。ドイツ連邦、ドイツ帝国にも王国を維持したまま参加していたが、1918年のルートヴィヒ3世退位により王国は滅亡している。

 1180年 神聖ローマ帝国のもと、ヴィッテルスバッハ家がバイエルン地方を治める
 1806年 神聖ローマ帝国崩壊、バイエルン王国成立
 1815年 ウィーン会議、ドイツ連邦に参加
 1871年 ドイツ帝国成立、帝国の1領邦となる
 1918年 バイエルン王国消滅

ミッテルフランケン
 ローテンブルグ
 最も古い市壁は12世紀に遡るが、13世紀、自由都市に昇格したことで急速に発展した。大戦で大きな被害を受けたが、ほぼ完全な形で中世の街並が再現されている。ハイデルベルクから古城街道を通って13時半到着。
 小さな街であるが、どこを歩いても楽しく人気があるのがうなづける。城壁の外は気持ちのいい緑で、ブルク公園や市庁舎の上から街全体を眺めると、中世の街の雰囲気がとても感じられるところだった。予想より長い2時間半の時間があったが、十分に堪能した。
1992.8 マイスタートゥルンク 1992.8
1992.8 ブルク公園より 1992.8 市庁舎
1992.8 市庁舎より 1992.8 市庁舎より
 ディンケルスビュール
 ローテンブルグと同様に、中世の街全体が残された所。ローテンブルクに比べると素朴な街で、目立つ建物がないのであまり印象に残っていない時間も30分しかなかったので、あっという間だった。 
1992.8
 ニュルンベルグ  
 ニュルンベルクは街道の交わる地として発展し、13世紀に帝国自由都市になった。15世紀頃には神聖ローマ帝国最大の都市の1つに入るほどとなるが、17世紀の30年戦争で戦場となり荒廃、1806年にはフランス軍に占領され、バイエルン王国に併合させられるという形で独立が失われた。今では、職人やマイスタージンガーが有名な街である。ドイツは鉄道が便利なので、ミュンヘンから日帰りで訪れた。
 駅の目の前が城壁で、すぐに旧市街に入る。第2次世界大戦でかなり破壊されたが、中世の街並みが復元されており、とくにペグニッツ川沿いや中央広場周辺の雰囲気がいい。カイザーブルクからは旧市街の屋根が見わたせた。
1992.8 聖養老院 1992.8 美しの泉
1992.8 ザンクト・ロレンツ教会 1992.8 カイザーブルクより
オーバーフランケン
 バンベルク(世界遺産)  
  バンベルグも10世紀以来の古い街で、1802年にバイエルン王国に併合された。第2次大戦による「被害がすくなかったため、今でも中世の雰囲気がよく残っている。ニュルンベルク観光の後、電車で40分ほど移動して訪れた。
 青空市場で賑わうマクシミリアン広場を過ぎるとレグニッツ川。川の上に浮かぶような旧市庁舎がとても面白い。高台にある新宮殿からは、赤い屋根の街並みが素晴らしかった。また、宮殿の前はバラ園になっていて、ちょうど色とりどりの花が咲き乱れている・ニュルンベルグからいちばん近いという理由で選んだのだが、思った以上に印象に残る街だった。 
1992.8 旧市庁舎 1992.8 新宮殿
1992.8 新宮殿より 1992.8 ドーム
  ☆世界遺産「バンベルクの街」 1993年登録
シュヴァーベン
ノイシュヴァンシュタイン城
 バイエルン王ルートヴィヒ2世により1869年に着工された白鳥の城。居城でなく趣味として建てられたが、バイエルン王国の財政破綻をまねき、完成前に暗殺されることになる。現代では、ドイツ有数の観光地として国の財政に貢献しているというのが皮肉である。ここも前日のロマンチック街道に引き続き現地ツアーで訪れた。
 城まではかなり急な坂道を登っていく。城の中は英語か独語の案内で見て回ることになるが、長蛇の列で1時間も待たされた。王座の間は豪華すぎる感じだが、ほかにもいろいろな部屋や洞窟まであって面白い。バルコニーからアルプ湖、シュヴァンガウ湖とホーエンシュヴァンガウ城がよく見えた。まだ未完成の城のはずだが、そうは思えないほどよくできている。
1992.8 ノイシュヴァンシュタイン城 1992.8 正面
 やはりここは城の全景を見たい。絵はがきでは城の正面を斜め上から見下ろすような構図が多いが、撮ったと思われる場所は山のかなり上の方なので行くのは難しそうである。途中でも少しは見えるかと城の裏の方に行ってみると、吊り橋があって城を横から眺められた。周囲の景色に溶け込んだ素晴らしい風景で、期待以上にいい所が見つけられた。
1992.8 ノイシュヴァンシュタイン城
 城の麓には、バイエルン王マクシミリアンが建て、ルートヴィヒ2世が育ったホーエンシュヴァンガウ城がある。規模、見映えともにノイシュヴァンシュタインとは比べ物にならない。
1992.8 ホーエンシュヴァンガウ城
オーバーバイエルン
 ミュンヘン  
 1158年に建設され、16世紀はじめにはバイエルン王国の首都となった街。19世紀ルートヴィヒ1世の時代にはヨーロッパで最も栄えた都市の1つとなった。ミュンヘンは3泊したが、市内観光は最終日でとなった。
 まずはUバーンとトラムを乗り継いでニンフェンブルク城へ。1664年に建てられたバイエルン王家の夏の離宮。建物はかわいらしい雰囲気だが、庭園が広くどこまでも続いていた。
1996.7 ニンフェンブルク城
 街に戻ると、まずカールス門。14世紀の市門の1つだというが、あまり古いものには見えなかった。市庁舎はいかにもゴチック建築という感じだが、工事中なのが残念である。レジデンツは14世紀以来の宮殿で、いくつもある建物それぞれ雰囲気が全く違っていた。
1992.8 カールス門 1992.8 市庁舎
1992.8 1992.8 レジデンツ
 2度目のミュンヘンは、ドロミテ・オーストリアアルプスめぐりの入口として訪れた。ほとんど観光はしていないが、高さ290mのオリンピックタワーから街全体を見下ろした。
1996.7 オリンピックタワーより
 リンダーホフ城  
  ルートヴィヒ2世の建てた3つの城の1つで、唯一完成したものである。ノイシュヴァンシュタインに行く途中で立ち寄った。
 規模は小さいが、金色に彩られた室内、とくにベッドなど、豪華を通り越して悪趣味に感じられる。裏にある洞窟が有名なのだが、時間が足りなくて見つけられなかった。
1992.8 1992.8 室内
 2度目のミュンヘンからアルプス方向へ向かう途中、ちょうど通り道だったのでまた訪れることになった。それほど有名ではない所に4年間で2回行くことになるのは意外である。
 前回見つけられなかった洞窟を探すと、子供だましのテーマパークのようなものが・・。何ともコメントのしようがない感じだった。
1996.7 1996.7 洞窟内

バイエルン王国