プロイセン王国の前身は、ベルリンを中心としたブランデルク選帝候領とポーランド・リトアニアにまたがるプロシア公領である。両者は婚姻により同君連合プランデンブルク=プロイセンとなり、1701年に王国に昇格した。この頃は神聖ローマ帝国に参加しておらず、ポーランドが国の中心だといえる。ナポレオン戦争後にドイツ連邦に加盟、帝国内でオーストリアやバイエルンと並ぶ力を持つ。1871年にはプロイセン王のヴィルヘルム1世が初代ドイツ皇帝となり、いつしかプロイセンがドイツの中心的存在になっていた。

 1157年 ブランデルク辺境伯領を設置
 1415年 ホーエンツォレルン家のもと、ブランデルク選帝候領となる
 1618年 プロシア公領とともに同君連合ブランデンブルク=プロイセンが成立
 1701年 プロイセン王国成立
 1772年 ポーランド分割、西プロイセンなどを獲得
 1815年 ウィーン会議、ドイツ連邦加盟
 1871年 ドイツ帝国成立、プロイセン王ヴィルヘルム1世が皇帝となる
 1918年 プロイセン王国消滅

ベルリン
 ベルリン(世界遺産)  
  ベルリンの歴史は新しく、1448年にブランデンブルク辺境伯がベルリンに宮殿を遷したことで歴史の表舞台に登場する。ドイツの中心となるのは、1871年にプロイセン国王がドイツ皇帝になってからである。第二次大戦後、ドイツが東西に分割されると、ベルリンも西ベルリン・東ベルリンに分けられ、ベルリンの壁が暗い時代の象徴となった。1989年に壁が崩壊し、1990年にようやくドイツが統一されている。この時期にヨーロッパへ行こうと思ったきっかけの1つは、統一間もないベルリンを見たかったことであった、
 ミュンヘンからの夜行列車でベルリン到着。まずは東ベルリンのアレキサンダー広場から歩きはじめる。このあたりには、13世紀に建てられたベルリンで最も古いニコライ教会とマリエン教会があるが、マリエン教会は18世紀、ニコライ教会は1982年に再建されたものである。
1992.8 マリエン教会 1992.8 ニコライ教会
 ブランデンブルグ門の少し東、シュプレー川の中州に、19世紀から20世紀初頭に建てられた5つの博物館が集まっている。ここはムゼウムスインゼルと呼ばれ、世界遺産になっていることを登録からだいぶ後になって知った。また、同じ中州に大聖堂もあるが、これは第二次世界大戦で破壊されたものを1984年にようやく修復している。 
1992.8 旧国立美術館 1992.8 大聖堂
 ブランデンブルグ門は、ヴィルヘルム2世によって1791年に建てられた。このあたりにベルリンの壁があったはずだが、統一から2年、もはや跡形もなくなっている。この西側はかつての西ベルリンだが、近代的な街で見どころは少なかった。 
1992.8 ブランデンブルク門
  シャルロッテンブルグ宮殿は、初代プロイセン王フリードリッヒ1世が、妃ゾフィー・シャルロッテのために1695年から建てた離宮。第二次世界大戦でほぼ全焼し、忠実に再建された。ベルリンから電車で簡単に行かれる所で、さっぱりとした印象の建物が広い庭園に似合っている。
 なお、訪問した時は気にしていなかったが、その後のガイドではここが世界遺産と紹介している。しかし世界遺産として登録されている宮殿のリストにシャルロッテンブルグの名前は無く、よくわからない。 
1992.8 シャルロッテンブルグ宮殿
  ☆世界遺産「ムゼウムスインゼル(博物館島)」  1999年登録
     旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館
  ☆世界遺産「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」
   サンスーシ宮殿と庭園、新庭園、大理石宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、
  バーベルスベルク宮殿、グリーニケ宮殿と庭園など  :1990年登録
   ザークロー宮殿と庭園など  :1992年追加登録
   リントシュテット宮殿、ボルンシュテット王領地、ケーニヒスヴァルトなど  :1999年追加登録

プロイセン王国