築別炭礦の石炭輸送を目的として、採炭を行う太陽産業が計画した路線。大戦が始まった1941年の開業で、石炭需要が急増していたため突貫工事でつくられたと言われる。最盛期の貨物輸送は100万tを超え、収支は驚くほど良かったが、1970年、炭鉱の閉山とともに鉄道も廃止された。

  1941.12.14 築別〜築別炭礦間開業
  1970.12.15 全線廃止
1949 1955 1960 1965 1969
 輸送人員(千人/日) 0.4 0.4 1.4 1.9 1.2
 輸送密度(千人/日) 0.3 0.3 0.7 1.0 0.8
 貨物輸送量(万t/年) 12.1 45.9 88.3 100.9 73.3
営業係数 100 73 74 52 77
廃線跡
 築別〜築別炭礦16.6km
 最大の見所は、築別川にかかる3つのガーター橋。物資不足の時代だったため、ありあわせの橋桁をかき集めており、1つ1つの長さがバラバラである。廃止から40年経っているとは思えないほどしっかりしていた。終点の築別炭礦には、巨大なホッパーが残されていた。
2011.7 上築別〜曙間@
第一築別川橋梁
2011.7 上築別〜曙間@
 第二築別川橋梁
2011.7 上築別〜曙間@
 第三築別川橋梁
2011.7 築別炭礦駅跡A
 
車両
 使用されたSLは延べ8両で、このうち3両は廃止時まで残っていた。長い間58629が羽幌町内で保存されていたが、2009年に解体されている。DLは廃止前年に導入された1両のみで、廃線後は日本製鋼所に譲渡された。DCは延べ5両で、キハ11はレールバス、キハ221-223は国鉄キハ22形と同タイプであった。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1159 1 2B1タンク 1941 1954 もと国鉄
5861 1 2Bテンダ 1941 1951 もと国鉄
9042 1 1Dテンダ 1944 1958 もと国鉄
8114、8110 2 1Cテンダ 1949・51 1959 もと国鉄
C111 1 1C2タンク 1955 1970 もと三岐1
8653、58629 2 1Cテンダ 1958・59 1970 もと国鉄
DL DD1301 1 B-B凸形 1969 1970
DC キハ1001 1 19800mm液体式 1958 1962 国鉄客車改造
キハ11 1 10296mm機械式 1959 1969
キハ221-223 3 20000mm液体式 1960・62・66 1970
PC ハフ1-2等 4 木造2軸 1942-43 1968 もと国鉄等
ホハフ5等 2 木造・半鋼ボギー 1952・56 1959 もと国鉄
 キハ22形
 国鉄キハ22形と同タイプで、耐寒装備が施されたもの。廃車後は3両とも茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)に譲渡され、2015年まで活躍していた。さいたま市内で保存されているキハ223は、羽幌炭鉱時代の塗装となっている。
2008.12 キハ222:阿字ヶ浦駅 2016.6 キハ223:さいたま市ほしあい眼科

羽幌炭礦鉄道