イスラム帝国に支配されていたアルメニアであるが、9世紀に入るとバグラト家が力をつけ始め、イスラム帝国の衰えに乗じて851年にほぼ独立を果たした。そして885年、アショットT世が王に即位し、バグラト朝アルメニア王国が成立している。しかしバグラト朝グルジアの繁栄と入れ替わるように10世紀には衰え始め、11世紀半ばにはビザンチン支配下になった。しかしビザンチンの時代は短く、支配者はセルジュクに代わってアルメニア人の強制移住が始まる。そして、キリキアにアルメニア人の国が誕生した時期もあるが、アルメニア人は長く国家をもたない流浪の民となってしまうのである。

 885年 アショットT世即位、バグラト朝アルメニア成立
 950年頃 全盛期、アショットV世アニへ遷都
 1045年 ビザンチン帝国によりバグラト朝滅亡
 1071年 セルジュク朝がビザンチン帝国を破りアルメニアを領有
 1080年 キリキア・アルメニア成立(1375年滅亡)

 独立が失われた後のアルメニアの地は、イスラム、ティムール、オスマン・トルコなどの大国支配を受け、19世紀にはアルメニアの大部分がオスマン・トルコ領、残りの一部がガージャール朝の領土となっていた。このうちガージャール朝側をロシアが獲得し、ソヴィエト連邦をへて1991年、約950年ぶりの独立を果たす。しかし、かつてのアルメニアの4/5は今もトルコ領であり、アルメニアのシンボルであるアララト山にも近づくことができないでいる。

 1828年 ガージャール朝領有のアルメニアをロシアに割譲
 1914〜18年 第1次世界大戦、ロシアがオスマン・トルコ領アルメニア全域を占領
 1922年 ザ・カフカス成立、ソヴィエト連邦加盟
 1923年 ローザンヌ条約、かつてのオスマン・トルコ領アルメニアがトルコ共和国領に確定する
 1936年 ザ・カフカス分割、アルメニア共和国となる
 1991年 ソヴィエト連邦崩壊により独立

アルメニア・ロリ地方
 ハフパット修道院(世界遺産) 
 アルメニア北部、グルジアとの国境近くにあり、近くにあるサナヒン修道院と合わせて1つの世界遺産となっている。グルジアから陸路国境を越えて訪れた。
 国境は込み合っていたが、思ったよりスムーズに進み、1時間ほどですべての手続きを終えた。しかしその後の両替で30分以上、またここでは1時間の時差があるので、国境を出発したのは11:45になった。グルジアはのどかな平原だったが、アルメニアは険しい谷あいの道となる。12:30ハフパット到着。
 この時代の教会は、構造がとても複雑である。まず1つの修道院に教会がいくつもあって、それも建物がつながっていると境目がわからない。さらにガヴィトと呼ばれる前室も後から増築されているので、どの部屋が何なのか見取り図とにらめっこをしなければわからなかった。最初に入ったスルプ・ヌシャン大聖堂も、教会はハフパットここで最も古く976年に建設が始められたものだが、ガヴィトは1185年の建設である。
2011.8 ハフパット修道院全景 2011.8 スルプ・ヌシャン大聖堂
 スルプ・ヌシャン大聖堂を出て脇に回ると、スルプ・アストヴァツァツィン教会や図書館などの13世紀の建物群がある。こことスルプ・ヌシャン大聖堂との間は細い通路のようになっていて、ここにアルメニア教会の特徴であるハチュカルが並んでいた。ハチュカルとは十字架を刻んだ石で、大きいものは背丈ほどもある。きちんと立てられているものもあるが、壁際に無造作に並べられているものの方が多かった。
2011.8 ハチュカル 2011.8 図書館
 裏に回ると、一段高いところに鐘楼があった。これも13世紀のもののようだが、歴史を感じさせる姿がよい。
2011.8 鐘楼 2011.8 ハマザスプのガヴィト
 サナヒン修道院(世界遺産) 
 サナヒン修道院はツアーの予定表には入っていなかったが、立ち寄ることになった。国境で手間取るとカットになる可能性があるので、予定表に書かなかったのかもしれない。何にせよ、観光地が増えることはうれしいことである。
 ハフパット修道院を出て30分ほど走るとアラヴェルディの街に到着。サナヒン修道院はここの高台にあるが、もう14時なのでまず昼食をとった。高台へはロープウェイもあるようだが、団体なのでバスで上がる。目もくらむような崖の上である。
 サナヒンとは「あっちより古い」という意味だそうで、あっちとはハフパットのことである。サナヒンで最も古いスルプ・アストヴァツァツィン教会は928年に建てられたので、確かに50年程古い。しかし966年のアメナプルィチュ教会、1181年のガヴィトなどが複雑に入り組んでいて、どこまでが初期のものなのか全くわからなかった。
2011.8 サナヒン修道院全景 2011.8 手前のガヴィト
2011.8 奥のガヴィト 2011.8 ガヴィト内の彫刻
 サナヒンには、ほかにも1063年に建てられたグリゴル礼拝堂や鐘楼などがあるが、ハフパット以上に建物同士がつながっていて区別がつきにくい。裏の斜面は現代のお墓になっているようだった。
2011.8 グリゴル礼拝堂 2011.8 鐘楼
アルメニア・タヴシュ地方
 セヴァン修道院 
 サナヒンの観光を終えたのは夕方の16時半であるが、今日はまだセヴァン修道院を見て、首都エレヴァンまで向かう。とくにセヴァンまでは曲がりくねった山道の連続で、19時近くになってようやく到着した。時差の関係か、まだ夕暮れの雰囲気ではない。
 ここは874年にバグラト朝の王女マリアムによって建てられ、17〜18世紀に大幅に改修されている。もとはアルメニア最大の湖、セヴァン湖に浮かぶ島の上にあったもので、ソ連時代に水位が下がって陸続きになった。丘の頂上にあるので階段を登っていくと、左にカラヴェト教会、右にアラケラカン教会が少し離れて建っている。昔は中央にもう1つあったようだが、いまは土台だけになっている。片方の教会は18時までに到着すれば中を見られるとのことだが、1時間遅い。どうして遅くなったのかと思いきや、このツアーはいつも間に合っていないとのことで予定通りだった。
2011.8 カラヴェト教会 2011.8 アラケラカン教会
 ここは湖に囲まれた丘の上なので、何といっても眺めがいい。とくに裏へまわると、湖をバックにしたすばらしい景色が広がっていた。
2011.8 セヴァン湖と修道院
アララト盆地
 ゲガルト修道院(世界遺産) 
 エレヴァンの東にある、崖に囲まれた修道院で、「ゲガルト修道院とアザト川上流域」という名で世界遺産に登録されている。建物は12〜13世紀に建てられたものだが、周辺の崖の下には4〜10世紀の洞穴修道院もあり、アルメニアにおけるキリスト教初期の痕跡を残している。
 ガルニ神殿から15分ほどで到着。まず全景が見える所で写真ストップがあった。見事に景色にとけこんでいて、絵になる修道院である。 
2011.8 ゲガルト修道院
 中心にあるスルプ・アストヴァツァツィン教会は、バグラト朝アルメニアが滅びた後の1215年に建てられた。内部はここも複雑な構造で、しかも奥の方は岩を掘った岩窟教会になっている。写真は自由であるが、薄暗いので室内に強いデジカメでもぶれた写真が多くなった。
 内部の一室には、聖なる水が湧き出ている。私はキリスト教を信仰しているわけではないが、行列に並んで聖なる水をさわってきた。
2011.8 スルプ・アストヴァツァツィン教会 2011.8 教会内部
2011.8 教会内部 2011.8 周辺の洞穴修道院

バグラト朝アルメニア