平泉 -仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群

 平泉は、平安時代後期、奥州藤原氏の文化の中心として、4代100年にわたって栄えた。朝廷と友好的な関係を保ちつつも、事実上奥州全域を支配する独立国家のような存在である。源義経をかくまったため、鎌倉時代になると同時に源頼朝に滅ぼされるが、他では見られない独自の文化の跡が残されている。2008年に、ICOMOSの登録延期勧告からの逆転登録を目指したが、日本で初めて登録延期が決議されてしまった。しかし名称や構成資産、登録基準などを練り直して再挑戦し、2011年に日本で16番目の世界遺産として登録されている。最終的な登録対象は5件に絞られている。
 

 
平泉町
 1.中尊寺  
 初訪問は1985年。金色堂は覆堂の中にあって、写真を撮ることはできない。現在の覆堂は1970年に建てられたコンクリート製である。 
 
1985.8 覆堂 中に金色堂(国宝)がある 
 2度目の訪問は、到着が夕方になってしまったため、金色堂は見られず周辺の建物見学のみ。旧覆堂は金色堂を守るため鎌倉時代に建てられたもので、今は少し北に移築されている。 
2015.3 旧覆堂(重文) 2015.3 経蔵(重文)
2015.3 白山神社能舞台(重文)
 2.毛越寺
 毛越寺も奥州藤原氏時代に栄えたが、1226年と1573年の火災で建物はすべて焼失した。庭園のみが昔の雰囲気を残しており、特別名勝に指定されている。毛越寺跡も特別史跡である。
1985.8 毛越寺常行堂 1985.8 毛越寺庭園(特別名勝)
 3.観自在王院跡
 藤原基衡の妻が建立したと言われる。建物は残っていないが、浄土庭園の一部が復元されている。 
2015.3 観自在王院跡
 4.無量光院跡
 藤原秀衡が造営したと言われるが、ここも建物は残っていない。遺跡のほとんどは水田になっている。 
2015.3 無量光院跡
 5.金鶏山
登録されなかった資産
 2008年の登録延期決議後、達谷窟、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡、骨寺村荘園遺跡の4ヶ所が鋼製資産から外された。また、2011年の登録時にも、柳之御所遺跡が除外されている。 
1985.8 達谷窟毘沙門堂