「愛の国から幸福行き」で全国に知られた路線。広尾から襟裳岬を経由して日高線の様似までが予定線となっていたが、着工されることはなかった。存廃の基準となった輸送密度は1098人。収支係数751で、どちらも北海道の廃止路線の中では松前線に次いで成績が良かった。

  1929.11.2 帯広~中札内間開業
  1932.11.5 帯広~広尾間全通
  1984.6.22 第2次特定地方交通線として廃止承認
  1987.2.2  全線廃止 
  1932 1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 0.6 1.0 3.0 4.1 5.0 6.0 3.4 2.6 3.4 3.6 2.7 3.8
 輸送密度(千人/日) 0.2 0.4 1.1 1.5 1.8 2.2 1.4 1.2 1.1 1.0 0.8 0.8
 貨物輸送量(万t/年) 8.9 15.1 16.4 19.0 26.7 31.5 21.9 12.8 6.5 6.6
営業中
 廃止の半年前に乗車したのだが、襟裳岬で遊んだ後だったので、ほとんどの区間を寝てしまうという勿体無いことをしている。写真も広尾駅の外観が1枚あるだけである。
1986.8 広尾駅⑬
廃線跡
 帯広~広尾84.0km 
 広尾線は見所が多いので、ちゃんと時間をかけてと思っていたら、廃止から30年近く経ってしまった。スタートは北愛国駅跡から。ここには公民館が建っていて、一見駅舎跡かと思ったが、廃止後に建てられたものだった。
2015.9 北愛国駅跡②
 愛国駅は公園として整備されており、駅舎やホーム、レールなどが残されている。SLも保存されており、現役の駅のように見える。かつてブームとなった「愛国から幸福ゆき」の切符をイメージしたオブジェも建てられていた。 
2015.9 愛国駅跡③ 2015.9 愛国駅跡③
2015.9 愛国駅跡③ 2015.9 愛国駅跡③
 大正駅も、廃線後しばらく駅舎やホームが残されていたが、すべて解体され、公園として再整備された。ホームのようなものが建てられているが、古いものでは無い。 
2015.9 大正駅跡④
 幸福駅跡も、愛国駅と同じように公園として整備され、観光客が多く訪れていた。駅舎は老朽化のため2013年に建て替えられたが、一部は旧駅舎の部材を使用し、昔のイメージが変わらないようにしている。ホームにはかつてのディーゼルカーが停車しており、今にも発車しそうな雰囲気だった。 
2015.9 幸福駅跡⑤ 2015.9 幸福駅跡⑤
 
2015.9 幸福駅跡⑤
 広尾線は、廃線跡はなかなか判別できないが、駅跡は何らかのモニュメントが建てられているところが多い。中札内駅跡は貨車と信号、更別駅跡には石碑があった。
2015.9 中札内駅跡⑥ 2015.9 更別駅跡⑦
 忠類駅と大樹駅は、どちらも駅舎やホームが残されている。愛国駅や幸福駅のように観光地化されてはいないが、地元で愛されているのか、とても保存状態がいい。
2015.9 忠類駅跡⑧ 2015.9 忠類駅跡⑧
2015.9 忠類駅跡⑧
2015.9 大樹駅跡⑨ 2015.9 大樹駅跡⑨
 大樹駅を過ぎると、駅跡もだんだんわからなくなってくる。その代わりに、畑の中にいかにも廃線跡という感じの1列の林を発見した。
2015.9 豊似駅跡⑩ 2015.9 豊似~野塚間⑪
 広尾の市街地の中に入ると、廃線跡は空き地として残っている。広尾駅跡には、ディーゼルカーや客車が保存されていたが、今はすべて解体され、駅舎だけが残っている。
(※広尾駅の駅舎は2018年に解体されたようである)
2015.9 新生~広尾間⑫ 2015.9 広尾駅跡⑬
 2016年、帯広を通った時に、2015年に見られなかった帯広駅周辺の廃線跡へ立ち寄った。根室本線から分かれてしばらくの区間は遊歩道となっている。しかし、さらに進むと廃線跡は畑の中に消え、依田駅もまったく判別できなかった。
2016.7 帯広~依田間①

広尾線