西ローマ帝国の滅亡後、ローマはランゴバルト族などが支配していたが、8世紀、フランク王国のピピン3世が教皇に土地を寄進する。これが教皇領の始まりで、ナポレオン戦争まで継続された。ナポレオンの侵攻により一度消滅した教皇領はまた復活するが、イタリアの統一運動に伴い、1871年にイタリア王国に併合される。そして教皇とイタリアとの関係も最悪となるが、1929年に歩み寄りバチカン市国が誕生した。

 8世紀 フランク王国が教皇領を寄進
 1796年 ナポレオン侵攻、教皇領消滅
 1815年 ウィーン会議、教皇領復活
 1871年 イタリア王国に併合
 1929年 ラテラノ条約、バチカン市国成立

ローマ
 ローマ
 ニースから夜行列車で到着。観光はポポロ広場から始める。ここには、フラミニア街道からローマに入るポポロ門がある所で、スタート地点にふさわしい。
 少し歩くと、「ローマの休日」であまりにも有名なスペイン広場。朝早いためか、階段には思ったより人が少なかった。
1992.8 ポポロ広場 1992.8 スペイン広場
 続いて、これまたローマのシンボルの1つとなっているトレヴィの泉。1762年の完成で、スペイン広場と同時期のものである。コインを投げている人は見なかった。
1992.8 トレヴィの泉 1992.8 サンタンジェロ城より
奥にサン・ピエトロ寺院
 バチカン(世界遺産)
 サンタンジェロ城から、サン・ピエトロ寺院はすぐそばで、バチカン市国の国境の目印は何もない。ここは349年、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝が建てたキリスト教の総本山で、現在の大聖堂は16〜17世紀に再建されたものである。内部は、横幅が相当あるため奥行をあまり感じない。人が多いのでかなりざわついた雰囲気だった。
1992.8 サン・ピエトロ寺院 1992.8 サン・ピエトロ寺院内部
 ヴィッラ・デステ(世界遺産)
 ローマの郊外、ティボリにあるエステ家の別荘。16世紀半ばの枢機卿イッポリート・デステが、失脚後に修道院を改築して住んだ館だが、ここのいちばんの見所は庭園。500もの噴水があり、噴水のテーマパークのようになっている。ヴィッラ・アドリアーナで時間をかけすぎて、ここの到着が夕方になったので、1時間ほどで足早に一周した。
2019.9 百の噴水 2019.9 ネットゥーノの噴水

ローマ教皇領