イタリアは、ローマ帝国の衰退後、諸民族の侵入により多くの国家が乱立する。その中で13世紀に成立したフィレンツェ共和国は、メディチ家のもとで繁栄、周辺国を併合してトスカーナ大公国となった。15〜16世紀のルネサンス期にはダ・ヴィンチやミケランジェロを輩出する芸術の都となるが、メディチ家断絶後は衰え、ナポレオンの侵攻により消滅。一度復活するが、イタリア統一戦争により1860年サルディーニャ王国へ併合された。

 13世紀頃 フィレンツェ共和国成立
 1434〜94年 コジモ・デ・メディチの時代
 1532年 フィレンツェ公国となる
 1559年 シエナを併合
 1569年 トスカーナ大公国成立、メディチ家の全盛期
 1737年 メディチ家断絶、ハプスブルグ=ロートリンゲン家による継承
 1801年 ナポレオン侵攻、トスカーナ大公国消滅
 1815年 ウィーン会議、トスカーナ大公国復活
 1860年 サルディーニャ王国に併合

トスカーナ州
 フィレンツェ(世界遺産)
 フィレンツェは、もちろんトスカーナ大公国の都。街全体が美術館のような所である。ウィーンから夜行列車で朝7時に到着し、駅を出ると、まずは14世紀のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会が出迎えてくれた。
1992.8 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
 朝早いので、まずは駅から離れた所まで歩いてピッティ宮殿、ボーボリ庭園、ミケランジェロ広場、サン・ミニアート・アル・モンテ教会、サンタ・クローチェ教会をまわる。どこも甲乙つけがたいが、サン・ミニアート・アル・モンテ教会の雰囲気がいちばん気に入った。
 なお、2013年に「メディチ家のヴィラと庭園群」が新たに世界遺産となった。対象となったのは、ほとんどフィレンツェの郊外にあるが、ボーボリ庭園は対象物件に含まれている。「フィレンツェ歴史地区」と重複登録のようである。
1992.8 ボーボリ庭園 1992.8 サン・ミニアート・アル・モンテ教会
1992.8 サンタ・クローチェ教会 1992.8 サンタ・クローチェ教会内部
 街の中心に戻って、フィレンツェのシンボルであるヴェッキオ宮殿、サン・ジョバンニ礼拝堂、ドゥオモ、ジョットの鐘楼をめぐる。ドゥオモはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が正式名称で、1296年から140年かけて建設されたもの。近くからでは大きすぎて写真におさめられなかった。
1992.8 サン・ジョバンニ礼拝堂、ドゥオモ 1992.8 メディチ家礼拝堂
 99年はシチリア島を目指す途中で、再びフィレンツェを散歩した。1度目と同じところしか行っていないが、天気が良かったので川に映るポンテ・ヴェッキオやミケランジェロ広場からの眺めが素晴らしかった。
1999.7 ヴェッキオ宮殿 1999.7 ポンテ・ヴェッキオ
1999.7 ミケランジェロ広場より
ヴェッキオ宮殿、ジョットの鐘楼、ドゥオモなど
  ☆世界遺産「フィレンツェ歴史地区」  1982年登録
  ☆世界遺産「メディチ家のヴィラと庭園群」 2013年登録
 シエナ(世界遺産)  
 12世紀、シエナは都市国家として力をつけ、1167年に司教からの独立を宣言した。隣接するフィレンツェと抗争を繰り返しながら、13〜14世紀に全盛期を迎える。しかし16世紀に入るとスペインが侵攻し、1555年に降伏。シエナはフィレンツェ公国に割譲された。
 1994年、ローマからシエナに向かおうとしたら、イタリア国鉄のストライキで列車が動いていない。結局ローマから一歩も動けず、5年後のシチリアからの帰りにリベンジを果たすことになった。シエナの中心はプッブリコ宮殿を中心とするカンポ広場。世界で最も美しい広場とも言われるだけあって、円形の広場は他の都市にはない美しさだった。
1999.7 カンポ広場 1999.7 プッブリコ宮殿
 プッブリコ宮殿にあるマンジャの塔に登ると、シエナの街並みが一望である。赤い屋根の連なりと、その周りの緑の風景が素晴らしい。
1999.7 マンジャの塔より 1999.7 ドゥオモ
 ☆世界遺産「シエナ歴史地区」 1995年登録

トスカーナ大公国