廃線跡
 五日市線岩井支線(武蔵五日市-武蔵岩井2.7km)
 五日市鉄道は、当初は地元有志によって計画されたものだが、開業前から浅野セメントが参画し大久野地区の石灰石輸送を目的の1つとしていた。このため、拝島〜五日市間の開業から僅か5ヶ月後には、岩井支線が開業している。石灰石輸送の重要性から、戦時中に買収され、国鉄五日市線となった。旅客輸送は1971年に廃止したが、大久野までは貨物線として1982年まで残っていた。

  1925.9.20 五日市鉄道武蔵五日市〜武蔵岩井間開業
  1940.10.3 合併により南武鉄道となる
  1944.4.1  買収
  1971.2.1  大久野〜武蔵岩井間廃止、武蔵五日市〜大久野間旅客営業廃止
  1982.11.15 全線廃止 
   1949 1956 1960 1965 1970 1973
 輸送人員(千人/日) 0.4 0.6 0.7 0.8 0.5
 貨物輸送量(万t/年) 13.9 47.4 46.9 31.2 17.7 11.3
 大久野までは、藪の中に廃線跡が隠れているようにも思えるが、よくわからない。武蔵岩井駅の近くでは廃線跡がはっきりわかり、駅のホームも駐輪場として一部が残っていた。
2010.9 大久野駅跡@ 2010.2 大久野〜武蔵岩井間A
2010.9 武蔵岩井駅跡B
 五日市線旧線(立川-拝島)
 1925年に開業した五日市鉄道であったが、立川〜拝島間で青梅鉄道を経由することによる輸送力の制約を回避するため、5年後には立川まで延伸する。さらに1940年には南武鉄道と合併し、川崎臨海部から武蔵岩井までが1つの路線になるが、1944年4月に買収・国有化。そしてその5ヶ月後には青梅線と重複する立川〜拝島間が不要不急路線として休止し、戦後も復活することはなかった。

  1930.7.13 五日市鉄道立川〜拝島間開業
  1940.10.3 合併により南武鉄道となる
  1944.4.1  買収
  1944.10.11 立川〜拝島間休止
 五日市鉄道跡の多くは道路になっており、五鉄通りの名が付けられている。武蔵田中駅跡にはレールエンドのモニュメントが、また大神駅跡にはホームのモニュメントなどが作られている。
2010.9 拝島-南拝島間C 2010.9 拝島-南拝島間D
2010.9 武蔵田中駅跡E 2010.9 大神駅跡F

岩井支線・五日市線旧線