イスラム教の聖地メッカ、メディナを含むヒジャーズ地方は、16世紀にオスマン帝国領となり、一時期サウード王国やエジプトが支配するが1840年にオスマン帝国領に戻っていた。第1次大戦前、アラブ民族は民族主義の高まりによりオスマン帝国と対立。一方、オスマン帝国はドイツと組んでイギリスが支配するエジプトやインドを脅かしたため、イギリスはオスマン帝国を弱体化させるためアラブ民族の反乱を促すようになる。そして第1次大戦中の1915年、預言者ムハンマドの子孫、ハーシム家のフサイン・イブン・アリーが反乱をおこし、1916年にヒジャーズ王国を建国した。なお、この時にアラブ民族を支援したのが、アラビアのロレンスとして知られるイギリスのロレンス大佐である。
 フサインは、アラブ民族の統一国家を目指したが、イギリスなどの大国は密約を結び、アラブを分割。ヒジャーズ王国はアラビア半島西部を支配するにとどまった。そして、僅か10年ほどでリヤドを拠点とするナジュド・スルタン国に征服され、消滅している。なお、その後ハーシム家はイギリスが建国したイラクやヨルダンの国王になり、今もヨルダン国王はハーシム家である。

 1916年 ヒジャーズ王国建国
 1925年 ナジュド・スルタン国がヒジャーズ占領
 1926年 ナジュド・スルタン国のイブン・サウードがヒジャーズ王となる
 1931年 連合王国「ナジュド及びヒジャーズ王国」となる
 1932年 サウジアラビアと改称
サウジアラビア
 ジェッダ(世界遺産) 
 第3代カリフによって、647年に聖地メッカへの玄関口として整備された港町。紅海に面しており、東西交易の中継地としても繁栄した。旧市街は世界遺産に登録されている。
 旧市街を取り囲んでいた城壁は撤去されたが、城門の一部が再建されている。旧市街の中心付近には、ここでいちばん古いと言われるアル・シェイフ・モスクがある。
2026.1 ジャディード門 2026.1 アル・シェイフ・モスク
 旧市街の建物は、緑や茶色の出窓が特徴的。再整備が進んでいて、美しい姿を取り戻している建物と崩れ落ちそうな建物が入り交じっている。ショルバトリー・ハウスは、アラビアのロレンスの時代にイギリス公使館だった建物。またナシーフ・ハウスは、19世紀後半にジェッダ知事が建てたものである。
 
2026.1 旧市街の街並み
 
2026.1 ショルバトリー・ハウス 2026.1 ナシーフ・ハウス 
  ☆世界遺産「メッカへの入口、歴史都市ジェッダ」 2014年登録
 ヒジャーズ鉄道 
 ヒジャーズ鉄道は、ダマスカスとメッカを結ぶため、1900年にオスマン帝国が建設を始めたもの。メッカへの巡礼者を輸送するためという名目であるが、真の目的はオスマン帝国によるアラビア半島支配の強化であった。1908年にメディナまで開業するが、メッカまでつながることはなかった。そして、アラビアのロレンスが支援するアラブ反乱軍の襲撃対象となり、僅か7年ほどで破壊されている。
 現在、線路は撤去されているようだが、駅舎や機関車などがところどころに残されている。
 訪問したのは、ブワイルという駅跡。駅舎はオスマン軍の要塞も兼ねていたようで、頑丈なつくり。その裏には当時の機関車が残されている。後ろには貨車が連結されているが、これは台車以外は復元されたもの。近くには給水施設なども残っていた。
2025.12 Antar駅跡 2025.12 ブワイル駅跡の機関車

ヒジャーズ王国