日本ニッケルの鉱山専用鉄道としてはじまり、戦後に地方鉄道に転換して旅客営業を始めた。もともと貨物線のような所で、旅客は全国一利用者が少なく輸送密度が10人以下ということもあったが、黒字経営を続けていた。1973年の客扱い廃止後も86年まで貨物輸送が行われていたが、晩年は貨物輸送量の減少で赤字になっていたようである。

  1941.9.30 日本ニッケル専用鉄道開設
  1946.9.25 地方鉄道となる
  1947.5.1  旅客営業開始
  1962.1.1  上武鉄道となる
  1973.1.1  旅客営業廃止
  1986.12.31 全線廃止   
   1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985
 輸送人員(千人/日) 0.2 0.1 0.0 0.1 0.0    
 輸送密度(人/日) 151 37 11 79 4    
 貨物輸送量(万t/年) 2.6 8.1 21.3 17.3 12.6 10.2 6.6 1.2
 営業係数 132 84 63 89 96 113  119 124
廃線跡
 丹荘-西武化学前6.1km 
 ここは距離が6kmあまりと短く、終点の手前まで遊歩道になっているので、全区間歩いてみた。丹荘を出てしばらくは公園のようになっているが、いちばんの見所は寄島駅手前の長い築堤で、今にも列車が走ってきそうな雰囲気がいい。終点近くは山の中に消えていて、辛うじて橋の跡を見つけた。 
2006.1 神川中学校前-青柳間@ 2006.1 青柳-寄島間A
2006.1 寄島駅跡B 2006.1 西武化学前付近C
  
車両
 1960年代半ばまではSLが主力で、ほとんどが西武鉄道から転入した。DLは延べ5両で、DB102が唯一の自社発注車。旅客輸送は少なかったため、所属したDCは1両のみで、しかも短期間で消滅している。 
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 3 1 Cタンク 1941 1965 もと飯山鉄道3
A1 1 Bタンク 1948 1955 もと西武A1
4-6、8 4 1B1タンク 1956-62 1965 もと西武4-6、3
7 1 1C1タンク 1962 1965 もと西武7
DL D1001 1 B形 1953 1969 もと鹿島参宮D1001
  DD104 1 B-B形 1965 1979 もと大井川DD104
  DC101 1 C形 1966 1986 もと建設省DC101
  DB102 1 B形 1970 1986
  DD351 1 B-B形 1979 1986 もと新日鉄八幡D307
DC キハ2400 1 12920mm 1967 1973 もと津軽キハ2404
PC ハフ2-3、3U 3 1947・63 1973 もと西武ハフ2-3、レカ1
 8号
 1891年ダブス製で、大阪鉄道から関西鉄道を経て国有化、さらに多摩鉄道(現・西武)に払下げという長い歴史がある。西武時代は3号だったが、1956年の入線時には別に3号があったため、8号に改番した。廃車後、西武時代の3号に戻って昭和鉄道高校で保存されている。 
   
2016.3 3号:昭和鉄道高校

上武鉄道