1915年に砺波鉄道として開業、加越鉄道と名を変えて1922年には石動まで全通した。その後、電力会社の傘下に入った時期もあるが、1943年には富山地方鉄道に合併、戦後にまた分社化して加越能鉄道となっている。加は加賀、能は能登なので壮大な名だが、実際に金沢までの鉄道免許を取得し、七尾までの免許の申請も行っていた。しかし延伸することはなく、利用者の減少により廃止となっている。 1915.7.21 砺波鉄道福野〜青島町(のちの庄川町)間開業 1919.9.17 加越鉄道と改称 1922.7.22 石動〜福野間開業 1943.1.1 合併により富山地方鉄道加越線となる 1950.10.1 富山地方鉄道から分離し加越能鉄道加越線となる 1972.9.16 全線廃止 |
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廃線跡 | |||||||||||||||||||||||||
加越線(石動-庄川町19.5km) | |||||||||||||||||||||||||
ほとんどの区間がサイクリングロードになっているので、廃線跡はたどりやすい。ここは渋江川にかかる橋梁で、遠めには鉄道時代と変わらない雰囲気である。藪波は休憩所になっていたので駅跡ではないかと思われるが、確証は無い。花畑が気持ちいい。 | |||||||||||||||||||||||||
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2009.10 南石動-四日町間@ | 2009.10 藪波駅付近A | ||||||||||||||||||||||||
城端線をまたぐために、カーブを描きながら高度をあげる築堤がそのまま残っている。この路線の見所の1つである。 | |||||||||||||||||||||||||
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2009.10 津沢-本江間B | 2009.10 柴田屋-福野間C | ||||||||||||||||||||||||
高瀬神社はのどかな小駅だが、かつては神社参詣の旅客でにぎわい、国鉄からこの駅まで直通列車も運行されたらしい。農業倉庫が残っていて、雰囲気のいい所であった。 井波は瑞泉寺の門前町として栄えただけあって、仏閣のような立派な駅舎があり、登録有形文化財にも指定されている。今でも十分迫力を感じるつくりである。サイクリングロードはこの先も続くが、庄川町の駅の位置ははっきりしなかった。 |
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2009.10 高瀬神社駅跡D | 2009.10 井波駅跡E | ||||||||||||||||||||||||
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車両 | |||||||||||||||||||||||||
加越線は電化されていなかったため、SLやディーゼルカーが運行していた。1972年の加越線廃止後、ディーゼルカー5両が関東鉄道に譲渡され、さらにそのうち2両は2007年の鹿島鉄道廃止まで活躍していた。 | |||||||||||||||||||||||||
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2007.2 もとキハ126:鹿島鉄道石岡駅 | 2007.3 もとキハ125:鹿島鉄道石岡駅 |
加越能鉄道加越線