筑豊地区にあった炭鉱路線の1つで、飯塚〜上山田間は買収前に開業し、買収後は筑豊本線を名乗っていた。一方上山田〜豊前川崎間は戦後の開業区間である。貨物輸送量が200万トンを超えた時期もあるが、炭鉱の閉山によって役割を失った。旅客についても、1960年頃の輸送密度は6千人を超えたが、末期は1千人未満であった。存廃の基準となった輸送密度は1056人、収支係数は1982である。 1895.4.5 筑豊鉄道飯塚〜臼井間開業 1897.10.1 合併により九州鉄道となる 1898.2.8 臼井〜下山田間延伸 1901.6.28 下山田〜上山田間延伸 1907.7.1 買収(1909.10.12路線名制定により筑豊本線の一部となる) 1929.12.7 筑豊本線より分離、上山田線となる 1966.3.10 上山田〜豊前川崎間開業 1984.6.22 第2次特定地方交通線として廃止承認 1988.9.1 全線廃止 |
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廃線跡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飯塚〜豊前川崎25.9km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真崎は私の名と読みが同じなので親近感があったが、乗ることはできなかったので筑豊地区最初の探訪路線に選んだ。起点の飯塚から上山田までの沿線は思いのほか宅地化されていて、炭鉱路線というイメージに合わなかったが、熊ヶ畑駅跡に行くと草むした広い敷地に線路なども残されていて、遺跡を探検しているような楽しい気分になった。真崎駅も整備はされていたが、手入れしていないのか朽ち果てたような雰囲気で、面白い路線だった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2003.3 大隈駅跡B | 2003.3 上山田駅跡D | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2003.3 熊ヶ畑駅跡E | 2003.3 熊ヶ畑〜真崎間F 熊ヶ畑トンネル |
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2003.3 真崎駅跡G | 2003.3 真崎駅跡G | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2度目の訪問は、前回確認できなかった4つの中間駅を探した。平恒駅と東川崎駅には、駅があったことを示す案内板などがあるものの、鉄道があった頃の遺構は何も見つけられなかった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2016.6 平恒駅跡@ | 2016.6 臼井駅跡A | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2016.6 下山田駅跡C | 2016.6 東川崎駅跡H | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上山田線