現在の加賀温泉郷エリアにも、かつて北陸鉄道のネットワークがあった。全体で加南線と呼ばれるが、その中に4つの路線が含まれていて、成り立ちも異なっている。
   1941 1949 1955  
 輸送人員(千人/日) 4.0 12.3 14.1
 輸送密度(千人/日) 0.7 2.2 2.5
 貨物輸送量(万t/年) 0.7 1.0 1.0
 山中線(大聖寺〜山中8.9km)  
  山中線はその中で最も古く、1899年に馬車鉄道としてスタートした。電気運転に変わったのも最も早く、戦後は「くたに号」「しらさぎ号」などの花形列車も運転されている。しかしバス網の発達に伴って利用者が減り、1971年に廃止された。
  1899.10.8  山中馬車鉄道山中〜荒木(のちの河南)間開業(1900.5.16大聖寺延伸)
  1912.9.18  山中電気軌道と改称
  1913.3.18  1067mmに改軌、電化
  1913.11.16 合併により温泉電軌となる
  1943.10.13 合併により北陸鉄道加南線となる
  1971.7.11  全線廃止
 この路線いちばんの見所は新家工業前駅跡で、ホームとホームに降りる階段がそのまま残されている。また、山中駅の先にある道の駅に、花形列車だった「しらさぎ号」が展示してあった。
2010.8 帝国繊維前〜黒瀬間@ 2010.8 新家工業前駅跡A
2010.8 山中駅跡B 2010.8 山中温泉道の駅に保存される車両B
 粟津線(河南〜新粟津14.0km)  
 粟津線は粟津温泉と国鉄駅を結ぶ3.5kmの馬車軌道としてスタートし、温泉電軌となってから山中線、動橋線と接続した。1962年、国道の拡幅に伴って宇和野〜新粟津間は加南線で最も早く廃止されている。

  1911.3.5   粟津軌道粟津温泉〜粟津駅前間開業
  1913.11.16 合併により温泉電軌となる
  1914.10.1  加南〜山代東口間開業(14.11.1山代東口〜粟津温泉間開業し全通)
  1915.11.26 粟津温泉〜粟津駅前間馬車軌道休止(16.2.16粟津温泉〜新粟津間電気軌道開業)
  1943.10.13 合併により北陸鉄道加南線となる
  1962.11.23 宇和野〜新粟津間廃止
  1971.7.11  全線廃止

 河南駅から分岐してすぐの大聖寺川橋梁は鉄道時代のままで、貴重である。また那谷寺付近では廃線跡が自転車道となっていた。
2010.8 河南〜山代間C
大聖寺川橋梁
2010.8 那谷寺〜馬場間D
2010.8 新粟津駅跡E
 動橋線(宇和野〜新動橋3.4km)  
 動橋線の前身は山代軌道で、粟津軌道と同じ日に開業している。その後の変遷も粟津線とほとんど同じだが、こちらは1971年まで存続した。

  1911.3.5   山代軌道山代〜動橋間開業
  1913.12.1  合併により温泉電軌となる
  1914.12.28 馬車軌道休止(15.5.1宇和野〜新動橋間電気軌道開業)
  1943.10.13 合併により北陸鉄道加南線となる
  1971.7.11  全線廃止

 動橋線は短い区間なので、遺構が少ない。庄駅付近の未舗装道路が何とか雰囲気を残している。
2010.8 庄駅付近F
 片山津線(動橋〜片山津2.7km)  
 片山津線は1914年に片山津軌道としてスタートし、僅か17日後に温泉電軌に合併された。廃止は山中線・動橋線より6年早い1965年である。

  1914.4.29  片山津軌道動橋〜片山津間開業
  1914.5.15  合併により温泉電軌となる
  1922.11.23 鉄道に転換
  1943.10.13 合併により北陸鉄道加南線となる
  1965.9.24  全線廃止

 片山津線の廃線跡が残るのは、八日市川橋梁とその前後の道路だけである。終点片山津駅も正確な位置はよくわからない。
2010.8 合河〜片山津本村間G
八日市川橋梁
2010.8 片山津駅跡H
 

北陸鉄道加南線