加悦鉄道

 加悦の有志が中心となって建設した日本海側のミニ私鉄であるが、近くの大江山でニッケルが産出されたことから、鉱石輸送を行う産業鉄道に変貌する。戦後間もなくニッケル鉱山は閉山となるが、細々と1985年まで生き残っていた。日本で初めて鉄道が敷かれたときの2号機関車が、最後に活躍した路線でもある。なお、丹後山田駅は、加悦鉄道廃止後の1990年に野田川駅と改称し、さらに2015年に与謝野駅と名を変えている。

  1926.12.5 加悦鉄道丹後山田〜加悦間開業(1067mm、蒸気)
  1940.8.4  大江山ニッケル鉱業専用鉄道加悦〜大江山間開通
  1942.10.14 大江山ニッケル鉱業専用鉄道岩滝線開通
  1945.8   大江山線、岩滝線休止
  1949.10  大江山線で旅客列車運行開始(3ヶ月後に中止)
  1952    岩滝線貨物輸送再開
  1985.3.14 全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1984
 輸送人員(千人/日) 1.4 2.2 1.0 1.2 1.1 0.8 0.5 0.3 0.1
 輸送密度(千人/日) 1.0 1.3 0.8 0.8 0.8 0.6 0.4 0.3 0.1
 貨物輸送量(万t/年) 11.0 1.1 2.1 0.4 0.2 0.1
 営業係数 66 101 92 111 120 119 160 155 169
廃線跡
 丹後山田〜加悦5.7km
 廃線跡は、ほぼ全区間がサイクリングロードとなっており、辿りやすい。駅のあった場所にはモニュメントなどが建てられているが、この時は時間の都合で省略した。 
2020.3 丹後山田〜水戸谷間@
奥が丹後山田駅跡
2020.3 丹後山田〜水戸谷間A
2020.3 丹後四辻駅付近B 2020.3 三河内〜加悦間C
 加悦駅構内には、鉄道の廃止前からSL広場があり、廃止後も営業していた。しかし訪問の翌年、1996年に、SL広場の場所が大江山鉱山跡地へ移転し、加悦駅跡には与謝野町役場加悦庁舎が建てられている。 また、加悦駅舎は大正時代に建てられた洋風建築であるが、下の写真はその左端の部分で、洋風なところは感じられない。
1995.5 加悦駅跡D 1995.5 加悦SL広場(旧)
南海1201形
車両
 使用されたSLは5両で、うち3両は戦時中の導入なので、戦前は2両で運行していた。この他に日本冶金が所有したSLも3両ある。戦後にはDLが3両導入され、うち2両は自社発注だった。DCは4両で、うち1両は戦前のガソリンカー。DLとDCは全車廃線まで車籍を有していた。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1 1 2Bテンダ 1927 1955 もと相模100
2 1 1Bタンク 1926 1985 もと簸上123
4 1 Cタンク 1942 1969 もと長野4
1088 1 2B1タンク 1941 1955 もと国鉄1088
1261 1 Cタンク 1943 1985 もと国鉄1261
DL DB201 1 5730mmB形 1953 1985
DC351 1 8156mmC形 1967 1985 もと南部DC251
DD352 1 11150mmD形 1974 1985
GC キハ101 1 11734mm 1936 1985
DC キハユニ51 1 17050mm 1962 1985 もと船木キハニ51
キハ083 1 19870mm 1972 1985 もと国鉄キハ083
キハ1018 1 20000mm 1980 1985 もと国鉄キハ1018
PC ハ10 1 木造ボギー車 1927 1985
ハブ2-3 2 木造単車 1927 もと伊賀
ハ20-21 2 木造単車 1935 1985 もと国鉄4999、4995
ハ4995 1 木造単車 1969 1972 ハ20車体復元
サハ3104 1 半鋼製ボギー車 1969 1985 もと東急サハ3104
 2号
 1873年スチブンソン製で、官鉄が大阪〜神戸間の鉄道建設用に輸入されたものなので、日本で2番目に古いグループのSLということになる。官鉄時代の番号はNo.12、のちNo.123。1915年に簸上鉄道へ払下げられ、加悦鉄道開業時に譲り受けた。製造から間もなく150年という信じられないほど貴重なものが、何気なく展示してある。
1995.5 2号:加悦SL広場(旧) 2020.3 2号:加悦SL広場
 4号
 官鉄のナスミス・ウィルソン製1200形と同型で、1923年に国内で製造されたもの。河東鉄道(現在の長野電鉄)が4両導入し、そのうち1両を加悦鉄道が譲り受けている。
1995.5 4号:加悦SL広場(旧) 2020.3 4号:加悦SL広場
 1261号
 簸上鉄道が1923年に導入したもので、国有化を経て、大江山ニッケル鉱業が購入した。合併により加悦鉄道の車籍になるが、おもに専用線で使用されていた。2号とともに加悦鉄道廃止まで車籍を有していた。
1995.5 1261号:加悦SL広場(旧) 2020.3 1261号:加悦SL広場
 DB201
 1953年森製作所製で、通称「森ブタ」と呼ばれるDLの1つ。1972年に休車となるが、加悦鉄道廃線まで車籍があった。
1995.5 DB201:加悦SL広場(旧) 2020.3 DB201:加悦SL広場
 DC351
 1956年に南部鉄道が導入したもので、南部鉄道が不通となった後、日本冶金大江山工場が購入した。専用線の貨物輸送だけでなく、間合いで客車も牽引したようである。1974年以降は予備機だった。
1995.5 DC351:加悦SL広場(旧) 2020.3 DC351:加悦SL広場
 キハ101
 1936年製の半鋼製片ボギー式ガソリンカー。ディーゼルエンジンに変更したのは1968年で、最後まで残ったガソリンカーと考えられる。1972年以降はほとんど稼働していないが、加悦鉄道廃止まで車籍があり、最後の片ボギー車でもある。
2020.3 キハ101:加悦SL広場
 キハユニ51
 1936年に芸備鉄道が導入したもので、国有化によりキハユニ40921となり、1952年に船木鉄道へ譲渡。船木鉄道休止後に加悦鉄道へ移った。船木鉄道時代にキハニとなっており、加悦鉄道廃止時もキハニだったようだが、今はキハユニ51と車体に記されている。
1995.5 キハユニ51:加悦SL広場(旧) 2020.3 キハユニ51:加悦SL広場
 キハ083、キハ1018
 どちらも国鉄から譲り受けたもので、加悦鉄道で最も大型の車両。キハ08は国鉄時代の客車改造車である。加悦鉄道廃止まで主力車として活躍した。
 
1995.5 キハ08-3:加悦SL広場 1995.5 キハ10-18:加悦SL広場 
 ハ10
 加悦鉄道開業時に導入した1926年製の木造ボギー車で、1969年にサハ3104を導入するまで、長い間唯一のボギー客車だった。1970年以降は休車となるが、車籍は残されていた。
2020.3 ハ10:加悦SL広場
 ハブ3
 ルーツは伊賀鉄道が導入した木造単車。1970年頃には車籍が無くなっていたようだが、加悦駅構内で保存されていた。
2020.3 ハブ3:加悦SL広場
 ハ4995
 1893年に鉄道省が導入したマッチ箱客車。加悦鉄道ではハ20となっていたが、1969年に廃車。その後、車体を利用して鉄道省時代のハ4995に復元されている。
2020.3 ハ4995:加悦SL広場
 サハ3104
 ルーツは、東京横浜電鉄が1925年に導入したデハ104。東急時代にサハ化され、1969年に加悦鉄道が譲り受けた。使用されたのは3年ほどで、1975年には加悦Sl広場の休憩所となっていた。
2020.3 サハ3104:加悦SL広場