軽井沢と草津温泉という2つの大観光地を結んだ鉄道。最後まで762mmのナローゲージで、カブトムシと呼ばれた特徴的な機関車が活躍した。戦後は国鉄吾妻線が開業したこともあり、輸送密度は300〜400人程度と驚くほど少ない。さらに台風で何度も大きな被害を受け、廃止となっている。

  1915.7.22 草津軽便鉄道新軽井沢〜小瀬間開業(17.7.19吾妻延伸、19.11.7嬬恋延伸)
  1924.2.15 草軽電気鉄道と改称
  1924.11.1 600V電化
  1926.8.15 嬬恋〜草津前口間開業(26.9.19草津温泉延伸)
  1959.8.14 台風災害により嬬恋〜上州三原間運休
  1960.4.25 新軽井沢〜上州三原間廃止
  1962.2.1  全線廃止
   1941 1949 1955 1960
 輸送人員(千人/日) 1.1 1.0 1.3 0.3
 輸送密度(千人/日) 0.4 0.3 0.4 0.1
 貨物輸送量(万t/年) 7.5 8.5 5.3 0.1
 営業係数 93 120 111 377
廃線跡
 新軽井沢〜草津温泉55.5km 
 軽井沢の駅前は、廃線跡が道路の一部になっていて面影はない。三笠ホテルの先からは、ほとんど車が通らないような細い道になって、ちょうど濃い霧が出ていたので幻想的だった。長日向から国境平までは、鉄道が走っていたとは思えない山の中で、ほとんどの区間は遊歩道になっているので、一度歩いてみたい所である。
2009.9 鶴溜駅付近@ 2009.9 長日向〜国境平間A
 群馬県側は廃線跡が自然に還っていて、とても探訪できるような感じではない。坂を下りきったところに北軽井沢駅があって、ここは駅舎がきれいに保存されている。
2009.9 二度上〜栗平間B 2009.9 北軽井沢駅跡C
 上州三原を過ぎると、鉄道が登ったとは思えないような急坂を登る。廃線跡は細い生活道路になっているが、すべての区間がそうなのかよくわからない。そこから草津温泉までの間は、鉄道の痕跡がほとんど見つけられなかった。
2009.9 上州三原〜万座温泉口間D 2009.9 草津温泉駅跡E
車両
 開業当初は、延べ11両のSLを導入、電化後は信越電力(のちの東京電燈)の建設工事用ELを譲り受けた。ECは1形式5両のみで、しかもそのうち3両は数年しか使用されなかった。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-4 4 Cタンク 1915-17 1928 もと国鉄
5-6 2 Bタンク 1917 1936
7-11 5 Cタンク 1920-23 1934
EL デキ12-24 13 L形 1924、37、39 1962 もと信越電力
デキ50 1 凸形 1935 1947 もと信越電力
EC モハ101-105 5 半鋼製ボギー車 1941-44 1962
PC ハ1-2等 4 木造単車 1915 1941
ホハ21-22等 16 木造ボギー車 1917 1960
ホハ30-33等 5 半鋼製ボギー車 1932 1960
 デキ12形 
 草軽電気鉄道の代名詞とも言うべき機関車。米国ジェフリー社製で、全長4729mm、当初はB形だったが後に1B1に改造された。独特な姿には、カブトムシという愛称があった。なお、唯一の凸形ELであるデキ50形も、デキ12形と同じ車体のデキ21(初代)を改造したものであった。デキ13が軽井沢駅前で保存されている。
 
2017.2 デキ13:軽井沢駅前  デキ+客車+貨車の編成

草軽電気鉄道