マケドニアは、ギリシャの中では北の端に位置し、共和制ではなく王国であるなど、特異な存在だった。フィリッポス2世のもとで強国となり、カイロネアの戦いでギリシャのポリス連合を破ってギリシャの盟主となる。その後を継いだのがアレキサンダー大王で、東方に遠征しペルシャを征服、現在のパキスタンにまで到達する大帝国を築く。しかし大王の死後は後継者争いで分裂し、マケドニアの領土はギリシャ周辺のみに戻った。ローマがカルタゴと戦ったポエニ戦争の際、マケドニアはカルタゴに協力するが、BC197年ローマ軍に敗れる。BC171年に始まった第三次マケドニア戦争でも再びローマ軍に敗れ、マケドニア王朝は滅亡している。

  BC808年頃 マケドニア王国成立
  BC338年  カイロネアの戦い、アテネ・デーベ連合軍を破る
  BC336年  アレキサンダー大王即位
  BC323年  アレキサンダー大王死去、ディアドゴイ戦争始まる
  BC306年  アンティゴノス朝成立
  BC200-197年 第二次マケドニア戦争、ローマに敗れギリシャ南部等を失う
  BC171-168年 第三次マケドニア戦争、マケドニア王国滅亡

ギリシャ北部
 ペラ
 紀元前5世紀に建設された、マケドニア王国の都。フィリポス2世やアレキサンダー大王も、この街で生まれた。アンティゴノス朝時代になってもマケドニアの都であったが、ローマに敗れた後はマケドニアの中心がテッサロニキに移り、衰退している。ペラ訪問の日は、本当は休業日だったのだが、現地ガイドの親戚が遺跡の受付をしているとのことで、特別に中に入ることができた。この年は雨が多かったようで、遺跡がお花畑に埋もれていた。 
2019.5 ペラ遺跡 2019.5 アゴラ
 ペラの見所の1つが、邸宅の床にあるモザイク画。多くは博物館に移されているが、一部は遺跡の中で屋根をつけて保存されていた。
2019.5 「鹿狩り」のモザイク 2019.5 「テセウスによるヘレネ略奪」モザイク
 ディオニソスの館は、中庭の柱が一部復元されている。手前には幾何学模様のモザイクがあって、ペラ遺跡でいちばん絵になる所である。
2019.5 ディオニソスの館
 ヴェルギナ(世界遺産)
 紀元前5世紀に、ペラへ遷都する前のマケドニア王国の都で、旧名アイガイ。長い間アイガイの位置は特定されていなかったが、1977年にヴェルギナでフィリポス2世の墓と思われる墳墓が見つかり、ここがアイガイであると考えられている。
 ここでは、地下で見つかった4つの墳墓を覆うような形で地下博物館がつくられている。墳墓のファサードや発掘された宝物は興味深かったのだが、すべて撮影禁止なので、すぐに忘れてしまいそうである。
2019.5 墳墓のある地下エリア入口
 ☆世界遺産「アイガイ(現在名ヴェルギナ)の古代遺跡」 1996年登録
 ディオン
 オリンポス山の麓にあるディオンは、紀元前5世紀頃に建設され、マケドニア王国の神域となっていた。フィリッポス2世の戦勝記念式や、アレキサンダー大王のペルシャ遠征の際の出陣式などもここで行われている。ローマ領となった後も植民市として発展し、後に主教座もおかれた。現在残っている遺跡の多くはローマ時代のものである。しかし西ゴート人の侵入などによって破壊され、衰退していった。
 城壁の南にあるデメテルの神域は、マケドニア王国時代から残る神聖な場所。土台だけであるが、素朴な雰囲気はローマ遺跡とは異なっている。
2023.8 デメテルの神域
 遺跡の中心部は、碁盤の目のような街並みが城壁に囲まれていて、典型的なローマ遺跡である。浴場やトイレ、邸宅、バジリカなどを見ることができる。
2023.8 メインロード 2023.8 ディオニソスの館
2023.8 浴場 2023.8 浴場のモザイク
 遺跡の東側、小さな川を渡ったところにあるのが、イシスの神域。地震や川の氾濫などによって、水と泥に埋まっていたため、完全な形で残されている。今も半分水没した状態のままで、神聖な空気を感じられるような印象的な場所だった。
2023.8 イシスの神域 2023.8 イシスの神域
 最後に、遺跡の入口近くの劇場へ。ここはヘレニズム時代に建設され、ローマ時代には使われなくなっていたと考えられている。今は現代的な観客席が設置され、夏にはイベントも行われている。
2023.8 劇場

マケドニア王国