1096年に始まった十字軍による遠征は、1291年にアッコーが陥落して終わる。オリエントにおいてキリスト教の巡礼者の保護などを行っていたヨハネ騎士団はキプロスに逃れるが、すぐに東ローマからロードス島を奪って本拠地とした。オスマン帝国の拡大によってロードス島も対イスラム勢力の最前線となり、ついに1522年に陥落する。本拠地を失ったヨハネ騎士団は、ローマ教皇からマルタ島を与えられてマルタ騎士団となった。1565年、3万人とも言われるオスマン帝国の大艦隊がマルタ島を襲うが、4か月におよぶ攻防戦の上に撃退、オスマン帝国の拡大を止める。この後は、オスマン帝国との戦いは減少し、宗教改革などの影響もあって騎士団が弱体化、1798年にナポレオンがマルタ島を占領したことで表舞台から姿を消すことになった。 1291年 十字軍国家全滅、ヨハネ騎士団はキプロスに逃れる 1309年 ロードス島に本拠を移し、ロードス騎士団と呼ばれる 1522年 オスマン帝国に攻められ、ロードス島陥落 1530年 ヨハネ騎士団、ローマ教皇からマルタ島を与えられる 1565年 マルタ大包囲戦、オスマン帝国を撃退する 1798年 ナポレオンがマルタ島を占領する |
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マルタ | |
ヴァレッタ市街(世界遺産) | |
1565年のマルタ大包囲戦の後に建設された街で、街の名はマルタ騎士団の団長ラ・ヴァレッテに因む。オスマン帝国に勝利して英雄となったマルタ騎士団には、ヨーロッパ中から寄進が集まったので、豊富な資金で立派な街が築かれたのである。現在もマルタの首都となっている。 ヴァレッタが建設された時は、まだオスマン帝国の脅威が消えてはいなかったため、堅固な要塞都市である。とくに北側のスリーマの方から見ると、雰囲気が素晴らしい。 |
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2017.5 ヴァレッタ市街(スリーマより) | |
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2017.5 聖ミカエル保塁 | 2017.5 ヴィットリオーザからのヴァレッタ市街 |
ヴァレッタの中心にあるのが、聖ヨハネ聖堂。外観は地味だが、内部は黄金や多くの絵画・彫刻で埋め尽くされていて、戦いの最前線に建てられたものとはとても思えない。騎士団長の宮殿も残っているが、工事中で見ることができなかった。 | |
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2017.5 聖ヨハネ聖堂 | 2017.5 聖ヨハネ聖堂内部 |
ヴァレッタの街は碁盤の目のようになっているが、アップダウンが激しくジェットコースターのような所もあった。街の先端にある聖エルモ砦は、大包囲戦の前に建てられていたものである。 | |
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2017.5 坂の多いヴァレッタ市街 | 2017.5 聖エルモ砦 |
マルタから出国する時の飛行機から、ちょうどヴァレッタの街を見下ろした。複雑な地形は街の中にいてもよくわからないので、ちょうどいい復習になった。 | |
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2017.5 中央の真横の半島がヴァレッタ市街で、その先端が聖エルモ砦 ヴァレッタ市街の右上の2つの半島がスリーシティーズ、左下の半島がスリーマ |
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☆世界遺産「ヴァレッタ旧市街」 1980年登録 | |
スリーシティーズ | |
スリーシティーズとは、ヴィットリオーザ、セングレア、コスピークワの3つの街の総称で、大包囲戦以前のマルタの中心。ヴァレッタ市街から見ると、目の前の2つの半島が、それぞれヴィットリオーザとセングレアの街になっており、ヴィットリオーザの半島の先端にある聖アンジェロ砦に手が届きそうである。なお、コスピークワは半島の根元に広がっているので、ヴァレッタからはあまり見えない。 ヴァレッタから陸路だと大きく迂回しなければならなので、船に乗ろうと海辺へ降りていったが、イベントのため運行休止だった。ただ、その横で小型ボートが営業していたので、これに乗り込む。船からの眺めは最高で、セングレアの街は軍艦にしか見えなかった。 |
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2017.5 聖アンジェロ砦 | 2017.5 セングレア |
ボートはヴィットリオーザ側に着いたので、そのまま街の中を散策。ヴィットリオーザは大包囲戦前はビルクと呼ばれ、オスマン帝国の大軍から守り抜いた所である。騎士団の時代からほとんど変わらない小路が入り組んでいていた。 | |
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2017.5 ヴィットリオーザ市街 | 2017.5 ヴィットリオーザ市街 |
イムディーナ・ラバト | |
イムディーナは、マルタ島のほぼ中央にある丘の上の古都。紀元前の時代から要塞があったと言われ、9世紀頃のアラブ人が城壁に囲まれた都市の原型をつくっている。1565年の大包囲戦の際にも重要な要塞として機能したが、その後は都がヴァレッタに遷り、中世の雰囲気のまま残された。 ヴァレッタから頻繁にバスが出ており、30分ほどで街の入口に到着する。城壁の中は20分ほどで一周してしまうほどの大きさであった。 |
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2017.5 イムディーナのメイン・ゲート | 2017.5 大聖堂 |
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2017.5 イムディーナ市街 | 2017.5 城壁の上からの眺め |
イムディーナの城壁の外側に広がる街は、ラバトと呼ばれる。ここには聖パウロの地下墓地があるが、営業終了の時間がせまっていたので、イムディーナの観光を途中で切り上げてラバトへ移動した。地下墓地はたくさんあり、1ヶ所ずつ階段を下って見学する。まだ営業時間は20分ほどあるはずなのに、端から順番に鍵を掛けられてしまったので、追われるように走って見学することになってしまった。 | |
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2017.5 聖パウロの地下墓地 | 2017.5 聖パウロ教会 |
イムディーナの街を外から眺めたかったので、バス通りに沿って少し歩いた。逆光なのが残念だが、丘の上の城塞都市は雰囲気がある。 | |
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2017.5 イムディーナ市街 | |
ヴィクトリア | |
ヴィクトリアは、ゴゾ島のほぼ中央にある街で、ここの丘の上にチタデル(大城塞)がある。チタデルの内部には建物がほとんど無く、お花畑が広がっていた。 | |
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2017.5 チタデル(大城塞) | 2017.5 チタデル内部 |
マルタ騎士団領