開業した典型的な運炭路線で、最盛期には沿線に10以上の炭鉱があったという。しかし石炭輸送が無くなると、ローカル線の小駅からさらに分かれる支線では存続できるはずもなく、第1次の廃止対象路線となった。存廃の基準となる輸送密度は346人、収支係数2773で、収支係数は全国で3番目に悪かった。 1914.11.11 志文〜万字炭山間開業(万字〜万字炭山間は貨物のみ) 1924.9.1 万字から万字炭山間旅客営業開始 1981.9.18 第1次特定地方交通線として廃止承認 1985.4.1 全線廃止 |
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廃線跡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
志文-万字炭山23.8km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上志文は少し見つけにくかったが、スキー場の麓のようなところにあった。駅舎の脇に碑がたてられている。次の朝日駅は、隣の美流渡駅に比べて特徴の無い駅名だが、地元では思い入れがあったのか、公園として保存されている。万字線とは関係なさそうなB20が展示してあった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2009.10 上志文駅跡@ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2009.10 朝日駅跡A | 2009.10 朝日駅跡A | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
万字駅の駅舎はなぜか郵便局として営業していたが、この裏にあるはずのホームは深い草むらでまったくわからない。駅前には時間がとまったかのような炭鉱の街並みが続いていて、こちらの方が印象に残った。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2009.10 万字駅跡B | 2009.10 万字駅跡B | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
終点の万字炭山の駅跡はかなり低い所にあり、一段上にはまるで映画のセットのような炭鉱の街がひろがる。ここも駅跡より街並みの方が印象的である。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2009.10 万字炭山駅跡C | 2009.10 万字炭山駅前の街C | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2009.10 万字炭山駅前の街C | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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万字線