9世紀にマヤ低地南部のジャングルにあるマヤ諸都市は衰退するが、入れ替わるようにユカタン半島北部のウシュマルやチチェンイツァが繁栄する。11世紀頃にはチチエンイツァも衰退するが、今度はマヤパンが勃興し、16世紀にスペイン人が侵入したときまでマヤ最大の勢力であった。

メキシコ・ユカタン州
 ウシュマル遺跡(世界遺産)
 ウシュマルは、古典期マヤの終わり頃に栄えたもの。ほとんどの建物は700年から1000年頃の間に建てられ、1200年以降の建造はないとみられている。チチェン・イツァと並んで最も有名なマヤ遺跡なので、観光地化されて観光客も多い。ここは1996年と2017年の2回訪れている。
 1996年は、前夜遅くにメリダ到着。ウシュマルかチチェン・イツァのどちらかに行く現地ツアーを予約しようと思ったが、どちらも満席で行かれない。やむなく近いウシュマルまでタクシーをチャーターした。入口の目の前にあるのが魔法使いのピラミッドで、曲線的な姿は他に例を見ない美しさであった。ここの階段はかなり急で怖いほどであったが、上に登るとジャングルのあちらこちらに遺跡が見えて嬉しい。しかし2回目の訪問時は登ることが禁止されてしまっていた。
1996.12 魔法使いのピラミッド 1996.12 魔法使いのピラミッド
1996.12 ピラミッド上からみた尼僧院 1996.12 ピラミッド上からみた
総督の家と大ピラミッド、亀の家
2017.9 魔法使いのピラミッド
 ウシュマルはプウク地方にあるため、ここの建物はプウク様式と呼ばれる。そのいちばんの特徴は、尼僧院や総督の家に見られる、壁面を埋め尽くす装飾である。尼僧院は、中庭を囲むように矩形の建物があるところだが、そこにさまざまな壁面装飾があって見ていて飽きない。なお、尼僧院や総督の家という名は現代に付けられたもので、もともとの建物の用途はわかっていない。
 
2017.9 尼僧院 2017.9 尼僧院入口 
1996.12 尼僧院の壁面装飾
 尼僧院から球戯場を通って南へ向かうと、一段高いところに総督の家や亀の家が並んでいる。ここは丘のようにみえるが、人工的にかさ上げして基壇を造ったようである。亀の装飾や、総督の家の前にある双頭のジャガーの像は、微笑ましくて印象に残る。
2017.9 球戯場(奥は尼僧院) 2017.9 亀の家の装飾
 
2017.9 総督の家 2017.9 ジャガーの像
 総督の家の奥に大ピラミッドがある。ここは2回目の訪問時も登ることができた。大ピラミッドからは葉との家を見下ろすことができるが、矩形の建物のうち1面の壁しか残っていない。
 
2017.9 大ピラミッド 2017.9 大ピラミッド上部のレリーフ
 
1996.12 鳩の家
 ☆世界遺産「古代都市ウシュマル」 1996年登録
 カバー遺跡
 ウシュマルのそばにある小さな遺跡で、ウシュマルからタクシーで足を伸ばした。雨の神チャックが印象的である。
  1996.12 全景 1996.12 雨の神チャック
 チチェン・イッツァ遺跡(世界遺産) 
 チチェン・イッツアは、おそらく最も有名なマヤ遺跡であろう。マヤ黄金時代の遺跡であるティカルやパレンケより、後の時代に栄えたこちらの方が有名なのは、リゾート地カンクンから日帰りできるという立地条件のためである。ウシュマルと同時代の都市で、ウシュマルが衰えたあともしばらく繁栄が続いていた。ここも1996年と2017年の2度訪れている。
 まず入口から右に向かうと、カラコル(天文台)がある。マヤは同時代のヨーロッパや中国をしのぐほど天文学が発達していたと言われるが、ここがその舞台だったのだろうか。独特の雰囲気があって印象に残った。周辺にも、赤い家や高層の墓などの小規模な遺跡が点在している。
 
1996.12 カラコル 1996.12 カラコル
2017.9 赤い家 2017.9 高僧の墓
 
1996.12 タブレーロ・エスクルピードス
 カラコルのさらに奥には、尼僧院と呼ばれる建物がある。ここはウシュマルに似た優しい雰囲気の彫刻が多く、チチェンイツアの中では別世界のようであった。なお、尼僧院や教会などの名前はもちろん現代に付けられたもので、何のための建物だったかはわかっていない。
2017.9 尼僧院 2017.9 尼僧院別館
2017.9 尼僧院のレリーフ 2017.9 教会
 チチェンイツァ遺跡のほぼ中央にあるのがカスティージョ。4方向にある階段は91段ずつで、これに最上部の1段を足すと、1年間を表す365段となる。今では登ることが禁止されてしまったが、1996年は自由に登ることができた。戦士の神殿や球戯場の全景は、ここに登らないと見られないので、今となっては貴重である。
 
1996.12 カスティージョ
   
1996.12 カスティージョより 戦士の神殿 1996.12 カスティージョより
 ジャガーの神殿と球戯場
 カスティージョは、別名ククルカンの神殿と呼ばれる。ククルカンとはマヤの神、羽毛の生えた蛇のこと。春分の日と秋分の日の前後だけ、太陽光によって階段に蛇の胴体が現れて、階段の下にある頭とつながってククルカンが降臨するという仕掛けがつくられているのである。右の写真は太陽が階段の側面全体にあたっているので胴体が太すぎるが、この後カスティージョの影によって細く波打つククルカンの胴体ができるはずであった。しかしここで大きな雲が太陽を隠し、そのまま日没となってしまった。
 2017.9 カスティージョのククルカン 2017.9 ククルカンの降臨
 戦士の神殿には、生贄の心臓を捧げたチャックモールという祭壇がある。しかし戦士の神殿は登れないので、1996年の訪問の際は見つけられずに終わった。2017年、少し離れたところから望遠で見ると、たしかに階段の上に鎮座していた。
2017.9 戦士の神殿のチャックモール 2017.9 戦士の神殿の列柱
 カスティージョがある広場の、戦士の神殿とは反対側にジャガーの神殿や球戯場などがある。印象的なのは球戯場に隣接するツォンパントリ。壁に無数の髑髏が刻まれていて、何とも不気味である。
2017.9 ジャガーの神殿 2017.9 球戯場のレリーフ
2017.9 ツォンパントリ 2017.9 鷲とジャガーの基壇
 ユカタン地域には、大きな川がない代わりにセノーテと呼ばれる泉が数多くある。マヤの時代には生贄を投げ込んだと言われ、実際にチチェンイツァの遺跡内のセノーテからも人骨が見つかっている。
 
2017.9 セノーテ
 ☆世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」 1988年登録

マヤ文明−ユカタン