アレキサンダーの東征によって紀元前330年にアケメネス朝ペルシャが滅びた後は、中央アジアはアレキサンダーの後継者の1人、セレウコス朝の支配下に入る。しかし間もなくセレウコス朝の力は衰え、紀元前247年にパルティア(アルケサス朝)が建国された。パルティアははじめ現トルクメニスタンのニサを首都とするが、領土の拡大にともなって現イランのヘカトンピュロス、さらに現イラクのクテシフォンへと都を遷し、ペルシャ帝国とほぼ同じ領域をおさめる強国となった。ローマ帝国の全盛期にたびたび衝突した、ローマ最大の宿敵でもある。3世紀に入ると内紛が発生し、220年にペルシャのアルダシールによって滅ぼされた。

 BC247年  アルケサス1世、パルティア建国
 BC147年頃 ミトラダテス1世、メディアを支配下におく
 BC141年  ミトラダテス1世、バビロニアのセレウキア攻略
 BC100年頃 ミトラダテス2世、メソポタミア北部攻略、クテシフォンに遷都
 BC53年   ローマとの第1回パルティア戦争、クラッスス親子を破る
 BC2年    アルメニアの帰属をめぐりローマと第3回パルティア戦争
 113〜117年 第5回パルティア戦争、ローマのトラヤヌス帝がクテシフォンに侵攻
 162〜166年 第6回パルティア戦争、ローマのマルクス・アウレリウス帝に北メソポタミア割譲
 194〜198年 第7回パルティア戦争、ローマのセプティミウス・セウェルス帝による侵攻
 207年     ヴォロガセス6世とアルタバヌス4世による内乱始まる
 220年     ペルシャのアルダシール1世に滅ぼされる

トルクメニスタン
 ニサ(世界遺産)
 パルティア王国の最初の首都。現在のトルクメニスタンのアシュガバード近郊にあり、ホテルから20分程で到着した。
 情報が少なく、大したものは残っていないだろうと思っていたが、予想以上に規模が大きい。目を見張るようなものはないが、城壁に囲まれた当時の雰囲気がよくわかった。
2008.9 2008.9
2008.9 2008.9
 ☆世界遺産「ニサのパルティア王国時代の城塞群 」 2007年登録
 メルヴ(世界遺産)  
 メルヴは紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャ時代まで遡る中央アジアの要衝。セレウコス朝時代、パルティア時代、ササン朝時代、そして12世紀のセルジュク時代と、2000年にわたって拡張が続けられた。しかし1221年にモンゴル軍が侵攻して破壊。その後は復興することがなかった。
 メルヴはこの旅いちばんの楽しみだったのに、この日は朝から体調が最悪。しかもアシュハバードのホテルを5時半に出発して飛行機でマリィに移動というきつい日程だった。そのままメルヴに直行して9時過ぎに到着。街の中からすでに城壁が見えていた。
2008.9 アブドゥラ・ハン・カラの城壁
 メルヴの中でいちばん絵になるのは、乙女の城ともいわれるキズカラである。7世紀ササン朝ペルシャ時代の貴族の館といわれ、波打つような壁面は見ていて飽きなかった。キズカラは城壁の外側にあって、遠くに延々と続くセルジュク時代のスルタンカラの城壁も印象的だった。
2008.9 大キズカラ 2008.9 大キズカラ内部
2008.9 小キズカラ 2008.9 スルタン・カラの城壁
 メルヴには、グウヤル・カラとスルタン・カラという2つの大きな都市跡がある。広すぎて徒歩ではまわれないので、バスに乗って、まずは奥にあるグウヤル・カラへ向かった。
 グウヤル・カラはセレウコス朝時代にエルク・カラを拡張するような形で建設され、パルティア、ササン朝にかけて繁栄した。仏塔やモスクの跡がありさまざまな宗教の交差点だったことがわかる。万里の長城のようにどこまでも続く城壁も印象的である。
2008.9 グウヤル・カラの城壁 2008.9 仏塔(ストゥーパ)跡
 エルク・カラは最も古く、マルギアナと呼ばれた紀元前6世紀のアケメネス時代の都市である。日干しレンガが風化した砂山のような城壁に登ると、中は丸い擂り鉢のようになっていた。ここに街があった時の様子を想像するのはかなり難しいことである。
2008.9 エルクカラ
右奥にグウヤルカラの城壁が続く
 またバスに乗り、スルタン・カラに戻る。ディワーン・ハーナ(行政府)や宮殿と呼ばれる場所もあるはずなのだが、説明もなく通り過ぎてスルタン・サンジャル廟に到着した。12世紀のセルジュク朝最盛期のスルタン、サンジャルの廟で、ここだけは崩れているところもなくきれいである。メルヴは広いので一日かけて見るのかと思ったが、12時半には観光が終了して半日することがなかった。
2008.9 スルタン・サンジャル廟 2008.9 スルタン・サンジャル廟内部
 ☆世界遺産「国立歴史文化公園“古代メルヴ”」 1999年登録

パルティア王国