筑豊の中でも大規模な貝島炭鉱のための運炭線で、1902年開業という歴史を持つ。最盛期は貨物支線や鉱山専用鉄道などが複雑に入り組んでいたが、今ではすべて消えている。存廃の基準となった輸送密度は1559人で第1次特定地方交通線の基準を満たしていたが、将来の需要増が見込めるとして一度は除外。結局第3次特定地方交通線として廃止されている。私が乗車できなかった国鉄線の中では最後の廃止線でもある。

  1902.2.19 九州鉄道勝野〜筑前宮田間開業(貨物)
  1907.7.1  買収
  1912.7.21  客扱い開始
  1987.2.3  第3次特定地方交通線として廃止承認
  1989.12.23 全線廃止   
  1932  1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 1.3 2.0 4.0 4.0 4.1 4.4 2.8 2.7 2.3 1.5 1.0 0.8
 輸送密度(千人/日) 1.0 1.5 3.0 2.8 3.0 3.3 2.1 2.0 1.8 1.1 0.8 0.6
 貨物輸送量(万t/年) 93.1 157.9 88.4 127.3 128.9 154.3 104.6 64.8 0.4 0.5
廃線跡
 勝野〜筑前宮田5.3km
 勝野を出てすぐのところには ガーター橋が残り、前後の築堤も雰囲気がいいが、すぐ舗装道路に変わってしまう。しかし終点の筑前宮田駅だけは手付かずのようで、ホームと広い構内が雰囲気満点だった。
2009.2 勝野-磯光間@ 2009.2 勝野-磯光間A
2009.2 筑前宮田駅跡C
 初回は磯光駅の位置を特定できなかったので、再訪。地図と見比べながら位置を確認したが、立派な道路になっていて駅があったことを示すものは何もない。
2016.6 磯光駅跡B

宮田線