南米大陸といえばインカ帝国が有名であるが、インカは比較的新しい時代で、それ以前にもナスカ、チャビンなどいくつもの文化が生まれている。中でも長期にわたって栄えたのはペルー北部の海岸地域で、紀元前後から7世紀頃にかけてモチェ、9世紀から14世紀にかけてはシカンに代表される文化が誕生している。

ランバイエケ州
 シパン遺跡  
 モチェからはかなり離れた、エクアドル国境に近いチクラヨの郊外にあるが、モチェとほぼ同時代の遺跡である。モチェ文化圏の一部というより、モチェと血縁関係のある指導者が独自に治めていたのではないかとも言われている。なお、ガイドブックの中には「パンパグランデにある遺跡」と書いてあるものがあったので、パンパグランデ遺跡と混同していたが、まったく別物だった。
 シパン遺跡は、2つのワカが並んでいるが、それ以上にワカの横から発見された王墓群で有名になった所である。墓は何層にもなっていて、この時は最も古いとみられる15番目の墓を発掘中だった。最も有名なのは「シパン王の墓」と呼ばれるもので、ミイラとともに埋められたおびただしい数の金製品や織物、ネックレスなどの副葬品、そして人身御供として埋められた人やリャマなどが、埋葬した順番までわかるほど完全な形で発掘された。日本ではそれほど知名度が無いが、エジプトのツタンカーメンの墓の発見をしのぐほどの大発見と考えられているようである。遺跡にはレプリカがあるだけだったが、翌日2002年にできたばかりのシパン王墓博物館へ行って、発掘品をたっぷり堪能した。
 また、遺跡では発掘の現場監督に話を聞きたいと申し入れてみたら、快く応じてくださった。そして丁寧な解説に続いて、立ち入り禁止区域に入り、今まさに発掘中の墓を上から覗き込んだ。深い穴の底には、レプリカではなく本物のミイラがまだ横たわっていた。
2009.9 ワカ 2009.9 シパン王の墓
2009.9 発掘中の墓 2009.9 博物館にて
 トゥクメ遺跡  
 トゥクメもチクラヨ郊外にある遺跡の1つで、シカン文化の中心は、11〜12世紀頃にシカンからここに移ったと考えられている。ワカが大小合わせて28も集中しているという不思議な所で、今でも神聖な地とされている。小さな博物館を簡単に見た後、展望のいい高台まで15分ほど歩いて登った。高台から見ると360度すべてワカという不思議な光景だった。
2009.9 ワカ・ラルゴ 2009.9
2009.9 2009.9 ワカ・デ・プエブロ
 シカン遺跡  
 シカンはモチェより新しい9〜14世紀頃の文化で、日本人の島田教授が長年発掘を行ったことにより、モチェやチムーなどとは異なる独自の文化がこの地に存在したことがわかってきた。TBSが発掘プロジェクトに関わっているため、日本でもたびたび紹介されている。ちょうどこの年も上野でシカン展が行われていたのでちょうどいい予習ができた。
 シカンの博物館は、遺跡からかなり離れたフルネリャッフェという街にあるので、遺跡の前日に見に行った。いいものはみんな日本に来てしまっているかと思ったが、十分に見ごたえがあり、発掘品が質・量ともに相当あることがわかる。しかし肝心の遺跡は広い森に囲まれた人気のない所で、ロロ神殿への道が見つからないままどんどん陽が暮れていく。近くの農家にいた人を無理やり連れてきて道案内を頼み、夕闇に包まれながらも、走って神殿の上に登った。遺跡自体に見所が少ないので、多くの観光客は博物館だけで満足して遺跡までは来ないのかもしれないが、遺跡好きとしては現地を見ないと気分が出ない。ゆっくりできなかったのはこの旅一番の心残りだが、ちょうど赤く染まった空と見渡す限りの森は、千年前と同じ景色を見ている気にさせてくれた。なお、墓が発掘された所は神殿の麓なのだが、完全に埋め戻されていて、ここだと確信が持てる場所が無い。旅の終わりのリマで、TBSのカメラマンに話を聞くことができ、ようやく発掘場所がわかった。
2009.9 ロロ神殿 2009.9 ロロ神殿頂上より
ペルー・カハマルカ州
 エル・ブルッホ
 エル・ブルッホとは魔術師という意味で、古くから神聖な地と考えられていたらしい。砂浜にモチェ時代のワカ・カオとワカ・コルターダが並び、少し離れたところにはモチェよりはるかに古く、紀元前数世紀のものといわれるワカ・プリエッタがある。なお、ワカ・コルターダは、旅のしおりにはワカ・パルティーダと書いてあったが、現地ではそのような呼び方はされていなかった。
 ワカ・カオは月のワカに似た構造で、正面のファサードや内部の部屋に色鮮やかな壁画が残る。ここでは、古代アンデスでは珍しい女性のミイラが発見されており、豪華な副葬品などからシャーマンでもあり女性指導者でもあったのではないかと考えられている。セニョーラ・カオと呼ばれるこの指導者の墓が見つかった部屋は、それほど立派には見えないが、博物館の展示物を見ると驚きだった。 
2009.9 ワカ・カオ正面のファサード 2009.9 ワカ・カオ正面のファサード
2009.9 セニョーラ・カオの墓室 2009.9 ワカ・カオ上部
 ワカの奥側にある、普段は公開していない神聖な部屋にも入れてもらえた。ここは、最も神聖だという空間には何も無いが、その手前にクモや魚のモチーフなど色鮮やかな壁画があり、ペルーで見た壁画の中で最も見ごたえがあるように思えた。遺跡見学の後は隣接する博物館に入ったが、遺跡に不釣合いなほど近代的で展示も大げさになっており、もう少し考えてつくれないものかと思ってしまった。
2009.9 ワカ・カオ奥側の部屋内部 2009.9 ワカ・カオ奥側の部屋内部
 もう1つのワカ・コルターダは、バスですぐそばまで行ったが、正面から見ると中央が2つに分かれたような不思議な構造になっている。発掘されていないので上に登ることしかできなかったが、ワカ・プリエッタが遠く霞んで見えた。
2009.9 ワカ・コルターダ 2009.9 ワカ・プリエッタ
 この遺跡最大のイベントは、事前にツアー客の1人がリクエストしていたシャーマンの儀式見学である。再び、日が沈んで真っ暗になったワカ・カオ奥側の神聖な部屋に入ると、サンペドリートという麻薬のような飲み物を飲んだシャーマンがお祓いの儀式を始めた。シャーマンと言っても普段は遺跡で働いているらしく、見かけも普通の人だったのでイメージとは少し違ったが、暗闇の遺跡の中の儀式は何か厳粛な気持ちになる。儀式の後で、内容や道具などを丁寧に説明していただけた。
2009.9 シャーマンの儀式
ペルー・リベルタード州
 太陽のワカ・月のワカ 
 モチェ遺跡と呼ばれることもあるようだが、多くは何故か「太陽のワカ・月のワカ」という一般名詞のような呼び方になっている。もともとモチェとは川、あるいは谷の名前で、ここモチェ谷から大規模な遺跡が発見されたので、この時代の文化を総称してモチェ文化と呼んでいる。最盛期には、現在のペルーのリマより北側の海岸地域全体に影響が及んだと考えられている。太陽のワカはモチェの政治の中心、月のワカは宗教の中心だった所で、ワカというのは、神殿に近い概念のようだが、政治の中心もワカと呼ぶのでピラミッド状のものは全て呼ばれているのかもしれない。どちらも日干しレンガを積み上げたもので、太陽のワカだけで1億個の日干しレンガが使われているようである。6世紀半ばまでにはどちらも放棄され、ガリンドやパンパグランデなどに文化の中心が移ったと考えられている。
 太陽のワカはまだ全く発掘されていないので、将来何が出てくるか楽しみなところである。ここと月のワカの間は何も無い砂漠のようになっているが、居住区とみられる遺跡も見つかっており、想像をかきたてられる。
2009.9 太陽のワカ 2009.9 居住区
 ここの一番の見所は月のワカで発掘された色鮮やかな壁画で、見学コースではいちばん奥側になるワカ正面のファサードは、多くの壁画で埋め尽くされている。このワカは時代とともに増築されていっており、1番下の段が最初の時代のモチーフ、2番目の段が2番目の時代のモチーフとなっているが、興味深いのは単に上へ積み重ねて行ったのではなく、古い神殿を覆い隠すように新たな神殿が建てられていっていることである。つまり、ファサードは何重にも重なっていて、古いファサードの手前に新しいファサードを築くと、わざわざ元あったファサードのモチーフをすべて描いたうえで、一番上に新たなモチーフの段がつくられている。このため、崩れた壁の奥に古い時代の壁画が見えていたりして、どこに注目すればいいか迷う。現場の人に頼んだら、発掘作業中のエリアにまで入れてもらえ、重なったファサードを間近で見られた。また月のワカ内部はいくつもの区画に分かれているが、ここもいろいろな時代のものが重なっているのでどの時代の様子を見学しているのかよくわからない。アパエックと呼ばれる想像の神のモチーフが多かったが、職人の個性なのか、1つとして同じ顔がないのはおもしろかった。
2009.9 月のワカ 2009.9 月のワカ正面のファサード
2009.9 アパエックの壁画 2009.9 何重にも重なるファサード 2009.9 祭壇?

プレ・インカ文明−モチェ・シカン