7世紀後半から、アラブ人のモロッコ進出が始まる。そして788年、バクダッドでの権力争いに敗れたイドリス1世がモロッコに逃れ、モロッコ最初の王朝であるイドリース朝が成立した。当初はムーレイ・イドリスが都となったが、息子のイドリス2世が都として建設したのが現在のフェズである。一方マラケシュは、ベルベル人の王朝ムラービト朝の都として建設された。その後も、フェズとマラケシュは交互に王都の座についてきている。

 788〜985年  イドリース朝(ムーレイ・イドリス→フェズ)
  808年 フェズ建設
  974年 イベリア半島にある後ウマイヤ朝の支配下となる
 1040〜1147年 ムラービト朝(マラケシュ)
  1062年 マラケシュ建設
  1091年 コルドバ、セビリアを占領、ムラービト朝最盛期
 1130〜1269年 ムワッヒド朝(マラケシュ)
  1152年 アルジェリアのハンマード朝征服、ムワヒッド朝最盛期
  1212年 カスティーリャ王国に敗北、イベリア半島から撤退
 1258〜1465年 マリーン朝(フェズ)
  1347年 チュニジアのハフス朝征服、マリーン朝最盛期
  1415年 ポルトガルにセウタを占領される
 1472〜1554年 ワッタース朝(フェズ)
  1505年 ポルトガルにアガディールを占領される
 1509〜1659年 サアード朝(マラケシュ)
  1578年 マハザン川の戦い、ポルトガルを破る
  1591年 ソンガイ帝国を滅ぼしサハラ南部に進出
  1604年 サアード朝がフェズとマラケシュに分裂
メクネス地方
 ムーレイ・イドリス  
 イドリーズ朝最初の都で、ヴォルビリスの遺跡のすぐ近くにある。創始者イドリス1世が埋葬されていると言われる霊廟があるが、イスラム教徒以外は入ることができない。
2016.9 ムーレイ・イドリスの街
フェズ地方
 フェズ(世界遺産)
 808年にイドリース朝のイドリス2世が建設し、その後も数々の王朝の都となった街。城壁に囲まれた旧市街は、フェズ・エル・バリと呼ばれ、世界一の迷路の街である。旧市街南側の要塞跡から眺めると、家がひしめきあう様子がよくわかる。
2016.9 南の要塞より フェズ・エル・バリ全景
中央やや右の緑の屋根がカラウィン・モスク
 旧市街のほぼ中央にあるカラウィン・モスクは、フェズが建設されて間もない9世紀イドリース朝時代のものである。とは言っても、修復と拡張を繰り返しているので、古い部分がどこなのかはよくわからない。そのすぐそばにはイドリス2世の霊廟もあるが、これは後のマリーン朝時代に建てられたもので、本当に遺体があるのかどうか定かではないようである。残念ながらどちらもイスラム教徒以外は入ることができないため、外から眺めるだけだった。
2016.9 カラウィン・モスク 2016.9 ムーレイ・イドリス廟
 ブー・イナニア・マドラサ(神学校)は、マリーン朝時代の14世紀に建てられた。モザイクや彫刻が素晴らしく、圧倒される。フェズでは数少ない、内部を見学できる所である。
2016.9 ブー・イナニア・マドラサ 2016.9 ブー・イナニア・マドラサ
 フェズ・エル・バリの入口のシンボルとなっているブー・ジュルード門は、実は新しく1913年に建てられた。中に入ると迷路のような街が広がるが、主な見どころは1本の道沿いにあるので、思ったよりわかりやすかった。
2016.9 ブー・ジュルード門 2016.9 スーク
 フェズには様々な職人さんがいるが、よく紹介されるのがタンネリの風景である。ただ、土産物屋の上に登らせてもらわないと見られないので、少々面倒だ。しかもこの日は職人さんが少なかったようで、色の種類が少なくあまり絵にならなかった。また、ここからモスクのミナレットが見えたので、カラウィン・モスクかと思って撮影したが、どうも違うようである。
2016.9 タンネリ(なめし革染色作業場) 2016.9 シュラビリン・モスク?
 フェズ・エル・バリの西側に隣接するように、もう1つ城壁に囲まれた街がある。フェズ・エル・ジェディド(新しいフェズ)と呼ばれるが、新しいと言っても13世紀にマリーン朝の都として建設された旧市街だ。巨大な王宮があるが、ここも中には入れない。
2016.9 王宮の正門 2016.9 スマリン門
 ☆世界遺産「フェズ旧市街」  1981年登録
マラケシュ地方
 マラケシュ(世界遺産)
 マラケシュは、ムラービト朝の都として1062年に建設され、その後もムワヒッド朝やサーアド朝の都となった街である。今も残るムラービト朝時代の唯一の建物がクッバ・バアディンで、元はモスクの一部だったが後に貯水場などに使われていたらしい。貴重なものだと思うが、柵の隙間から見ることしかできなかった。
2016.9 クッバ・バアディン
 クトゥビアの塔は、ムワヒッド朝時代の1147年に着工されて一度完成するが、ヤクーブ・エル・マンスール王が取り壊して1199年にもう一度建て直したものである。高さは77mもあり、セビリアのヒラルダの塔とともにこの時代の傑作と言われる。マラケシュはフェズと違って広場や公園が多いので、どこからでも見ることができた。また、少し南にあるアグノウ門もムワヒッド朝時代のものである。
2016.9 クトゥビアの塔 2016.9 アグノウ門
 16世紀末のサアード朝の王アフメド・アル・マンスールの墓は、後の時代に入口を封鎖されたため、20世紀まで発見されなかったらしい。今では、封鎖された道とは別の狭い通路を通って見学することがでいる。近くにあるエル・バティ宮殿もサアード朝時代のものであるが、工事中で中に入ることができなかった。
2016.9 アフメド・アル・マンスールの墓 2016.9 エル・バディ宮殿
 ベン・ユーセフ・マドラサ(神学校)は、サアード朝時代の1565年に建てられ、20世紀半ばまで現役だった。フェズのブー・イナニア・マドラサによく似ていて、装飾が美しい。2階に上がって1つ1つの部屋に入ることもできた。
2016.9 ベン・ユーセフ・マドラサ 2016.9 ベン・ユーセフ・マドラサの2階
 バヒア宮殿は、モロッコがフランス植民地となる直前の19世紀後半、何と個人の私邸として建てられたものである。豪華な造りの数々の部屋を見ていると、時代錯誤を感じてしまう。
2016.9 バヒア宮殿 2016.9 バヒア宮殿
 マラケシュの代名詞、ジャマ・エル・フナ広場。あちこちに大道芸を見る輪ができ、夕方になると屋台が並ぶ。365日がお祭りのような広場である。大道芸は思ったほど盛り上がっていなかったが、夕景が美しかった。
2016.9 ジャマ・エル・フナ広場
 ☆世界遺産「マラケシュ旧市街」  1985年登録

イドリース朝〜サアード朝