サアード朝末期の混乱期に勢力を拡大したアラウィー家は、1670年にモロッコ全土をほぼ統一する。こうして成立したアラウィー朝は、北アフリカで唯一オスマン帝国の支配を免れ、欧州列強による植民地化にも対抗した。1912年、ついに耐え切れず実質的にフランス植民地となるが、アラウィー家は存続し、独立後も現在まで続いている。

 1670年 ラシードがモロッコをほぼ統一
 1672年 イスマイルがメクネスを都とする(イスマイルの死後はフェズ・マラケシュに戻る)
 1912年 フランス植民地となる
 1956年 フランスから独立する

メクネス地方
 メクネス(世界遺産)  
 ムーレイ・イスマイルは、メクネスを都とし、新たに王都を造ろうとした。ヴェルサイユ宮殿に対抗しようとしたと言われるが、結局イスマイルの死後は都の座を失った。いちばんの見所はムーレイ・イスマイル廟であるが、工事中で入ることができなかった。近くにあるマンスール門もメクネス時代のものである。
2016.9 ムーレイ・イスマイル廟 2016.9 マンスール門
 ☆世界遺産「古都メクネス」  1996年登録
ラバト・サレ地方
 ラバト(世界遺産)
 ラバトは、川の対岸にあるサレとともに、大西洋に臨む要塞都市として発展した。そしてモロッコがフランス植民地となった1912年、内陸のフェズやマラケシュに代わってラバトがモロッコの首都となっている。
 ウダイヤの門とハッサンの塔は、どちらもムワヒッド朝時代の1195年にヤクーブ・マンスールが建てたものである。ハッサンの塔は高さ44mあるが、本当は88mになるはずだったらしい。一方、ムハンマド5世の霊廟は1973年に完成した新しいものである。
2016.9 旧市街の城壁 2016.9 ウダイヤの門
2016.9 ハッサンの塔 2016.9 ムハンマド5世の霊廟
 ☆世界遺産「近代首都・歴史都市ラバト」  2012年登録
カサブランカ地方
 カサブランカ
 カサブランカは、モロッコで最も人口が多く、最も有名な街である。見所は少ないが、郊外の海沿いには、1993年に完成したばかりの世界最大級のモスク、ハッサン2世モスクがある。開閉式の屋根、床暖房、防災対策など、最新のハイテクを駆使したモスクを見たのは初めてである。
2016.9 ハッサン2世モスク 2016.9 「白い街」カサブランカ市街

アラウィー朝