ボスニアも、スロベニア、クロアチアなどと同じく、6〜7世紀頃スラブ系民族が定住を始めたのが起源である。12世紀にはハンガリーの支配下であったが、実態はほぼ独立していた。そして14世紀にボスニア王国となって最盛期を迎えるが、15世紀にはオスマン・トルコの支配下に入っている。

 1377年 ボスニアのバン(総督)が王を名乗る(ボスニア王国成立)
 1428年 オスマン・トルコの属国となる
 1463年 王が廃されオスマン・トルコの直接支配となる
 1878年 サン・ステファノ条約、ボスニアに自治権が与えられる
       同年、ハプスブルグ帝国がボスニア占領(1908年に正式に併合)
 1918年 ハプスブルグ帝国滅亡、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国樹立

 第1次世界大戦によってハプスブルグ帝国が解体され、南スラブ人の国家が成立。この時はクロアチアの一部という扱いだったが、第2次大戦後のユーゴスラビアではボスニア・ヘルツェゴビナとして6つの共和国の1つとなった。1991年のユーゴスラビア崩壊により独立を宣言するが、ボスニア人、セルビア人、クロアチア人が混住していたため泥沼の戦争状態となり、大きな傷跡を残している。

ボスニア・ヘルツェゴビナ
 モスタル(世界遺産)  
 ヘルツェゴビナ地方の中心都市であるが、ここを有名にしているのはネトレヴァ川にかかる橋スタリ・モストである。1566年にかけられた橋であるが、1993年のボスニア紛争時にこの橋を挟んでボスニア軍とクロアチア軍が対峙し、破壊された。戦後は平和が訪れたシンボルとして往時と同じように修復され、世界遺産にも登録されている。
 ボスニアというとまだ戦争のイメージが強いため、観光客は少ないのかと思いきや、地面が見えないほどの人出である。やはり大観光地ドヴロヴニクから3時間程度という立地がいいのだろう。街の中には16〜17世紀のモスクも点在しているが、こちらは人も少なく静かだった。
2010.5 スタリ・モスト 2010.5 カラジョズベグ・モスク

ボスニア王国