4世紀から5世紀にかけて、ヤマト王権が確立し、倭国が統一されていった時代に造営された古墳群。百舌古墳群のうち23基と、古市古墳群のうち26基、計49基が、2019年に世界文化遺産として登録された。仁徳天皇陵などと名付けられている陵墓もあるが、ほとんどの陵墓は被葬者が特定されていない。また、そのような宮内庁指定の陵墓参考地は、史跡などの指定は無く、景観法などで保護している。
 
 
百舌古墳群
 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)
 百舌古墳群では大仙陵古墳に次いで大きい、全長365mの前方後円墳。百舌古墳群の中では最も古い古墳の1つで、5世紀初頭のもの。宮内庁は、第17代の履中天皇陵だとしているが、第16代の仁徳天皇陵より古い時代のものなので矛盾がある。現在の堀は一重だが、外堀があったと考えられている。
 
2022.10 拝所 2022.10
 七観音古墳、寺山南山古墳
 上石津ミサンザイ古墳の陪塚だと考えられている。
 
 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
 日本最大の古墳で、全長840m、高さは40mの前方後円墳。5世紀中頃のもので、宮内庁は、第16代の仁徳天皇陵だとしている。3重の堀に囲まれており、拝所は外側の2つの堀の中間にある。
 
2022.10 拝所 2022.10 外堀
 大安寺山古墳、茶山古墳、源右衛門山古墳、永山古墳、丸保山古墳、狐山塚古墳、銅亀山古墳、竜佐山古墳、孫太夫山古墳、収塚古墳、塚廻古墳
 いずれも大仙陵古墳のまわりにあり、大仙陵古墳の陪塚だと考えられている。形は、円墳、方墳、帆立貝形古墳、前方後円墳などさまざまである。
 
 
2022.10 収塚古墳
 長塚古墳、銭塚古墳、旗塚古墳
 いずれも、大仙陵古墳と上石津ミサンザイ古墳の間にある古墳。規模は大きくないが、陪塚ではなく独立した古墳と考えられている。
 
 
2022.10 長塚古墳
 御廟山古墳
 百舌古墳群で4番目となる、全長203mの前方後円墳。宮内庁の陵墓参考地であるが、被葬者はわかっていない。
 
 
2022.10 御廟山古墳(手前が方墳、右奥が円墳)
 いたすけ古墳、善右衛門山古墳
 いたすけ古墳は、全長146mの前方後円墳。宅地開発で破壊されそうになったが、市民運動により保護された。善右衛門山古墳はその陪塚である。
 
2022.10 いたすけ古墳(左が方墳、右奥が円墳)
 田出井山古墳(反正天皇陵)
 大仙陵古墳の北側、他の古墳からは少し離れた場所にある、全長148mの前方後円墳。5世紀中頃のものである。宮内庁は、第18代の反正天皇陵だとしているが、この時代の天皇陵としては規模が小さいため疑問が多い。
 
 ニサンザイ古墳
 百舌古墳群で3番目となる、全長300mの前方後円墳。百舌鳥古墳群の中では遅い時期にあたる、5世紀後半のものである。被葬者は不明であるが、ここが第18代の反正天皇陵ではないかという説がある。
 
古市古墳群
 津堂城山古墳
 百舌鳥・古市古墳群の中では最古にあたる、4世紀後半の巨大古墳。全長208mの前方後円墳で、古市古墳群の他の古墳とはとは大きく離れた北西の位置にある。被葬者はわかっていない。
 
 小室山古墳
 津堂城山古墳と同時期の、全長150mの前方後円墳。被葬者はわかっていない。ここは自由に登ることができ、前方後円墳の形状を体感することができる。
2022.10 方墳側から 奥が円墳 2022.10 奥が方墳
 仲津山古墳(仲姫命陵)、鍋塚古墳
 仲津山古墳は、古市古墳群では2番目に大きい、全長290mの前方後円墳。宮内庁は、第15代応神天皇の皇后、仲姫命の陵としている。しかし、応神天皇陵より古い5世紀初頭のものであるため、矛盾がある。鍋塚古墳はその陪塚で、土師ノ里駅の目の前にあり、登ることができる。
2022.10 仲津山古墳 拝所 2022.10 鍋塚古墳
 八島塚古墳、中山塚古墳、助太山古墳
 仲津山古墳の近くにあり、三ツ塚古墳と総称される、3つ並んだ古墳。5世紀前半のほぼ同時期に建造されたと考えられている。
2022.10 助太山古墳
 大鳥塚古墳
 誉田御廟山古墳の拝所の近くにある、全長110mの前方後円墳。仲津山古墳と同時期のものと考えられている。
2022.10 大鳥塚古墳
 誉田御廟山古墳(応神天皇陵)
 大仙陵古墳に次ぐ、日本で2番目の規模の古墳。全長425m、高さは35mの前方後円墳で、体積では大仙陵古墳をしのぐとも言われる。5世紀前半のもので、宮内庁は、第15代の応神天皇陵だとしている。
 
2022.10 誉田御廟山古墳 拝所
 誉田円山古墳、東馬塚古墳、二ツ塚古墳、栗塚古墳
 いずれも誉田御廟山古墳の陪塚だと考えられている。
 墓山古墳、向墓山古墳、西馬塚古墳、野中古墳、浄元寺山古墳
 墓山古墳は、古市古墳群で4番目の規模で、全長225mの前方後円墳。誉田御廟山古墳の陪塚だとされているが、実際には独立した古墳のようである。周囲の4つの陪塚も世界遺産に登録されている。
 東山古墳、はさみ山古墳、青山古墳
 いずれも、墓山古墳の近くにある小規模な古墳である。
 白鳥陵古墳、峯ヶ塚古墳
 白鳥陵古墳は、古市古墳群の中で最も南にある、全長190mの先方後円墳。宮内庁は、古代の英雄、日本武尊の陵としているが、5世紀後半のものなので時代が合わない。峯ヶ塚古墳はその近くにあり、こちらも大王級の陵と考えられている。
 
 市野山古墳(允恭天皇陵)
 古市古墳群では4番目の規模で、全長227mの前方後円墳。5世紀後半のもので、宮内庁は、第19代の允恭天皇陵としている。
2022.10 拝所 2022.10 左が方墳、右奥が円墳
 岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)、鉢塚古墳
 岡ミサンザイ古墳は、古市古墳群で3番目の規模で、全長245mの前方後円墳。宮内庁は、第14代の仲哀天皇陵としている。ただし、5世紀後半のものなので時代が合わず、第21代雄略天皇陵という説もある。鉢塚古墳はその陪塚である。
 

百舌・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-