もとは日本鋼管の専用鉄道として建設され、国鉄移管跡もしばらく貨物線であったが、9年間だけ旅客営業が行われた。1963年の群馬鉄山閉山後は役割を失い、大前延伸と前後して廃止されている。

  1945.1.2  日本鋼管群馬鉄山専用線長野原〜太子間開業
  1952.10.2 長野原〜太子間が国鉄に移管される(長野原線:貨物線)
  1961.9.1  旅客営業開始
  1970.11.1 長野原〜太子間営業休止
  1971.3.7  吾妻線と改称
  1971.5.1  廃止
廃線跡
 長野原〜太子5.8km 
 吾妻川を渡る赤いガーター橋は残っていて、現在線と同時に見られるのが楽しい。廃線跡の多くは道路に転用されていて、短いトンネルが連続し雰囲気がある。終点の太子は、かつての鉱山の施設が草に埋もれていた。
2009.9 長野原駅付近@
奥に現在の吾妻線が見える
2009.9 長野原〜太子間A
2009.9 太子駅跡B

長野原線太子支線